このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
特 集 ①
〜(旧)大網駅・スイッチバック〜
旧大網駅は約1900年頃に完成し、約70年間に亘って営業をしていた。これは、土気ー大網間の大きな高低差によるもので、現在ではスイッチバックをせずに行けるようになっているが、昔は貨物輸送も行っており、機関車(電化前はSL)の馬力も今の車両と比べてなかったので、スイッチバックをせざるを得なかった。
スイッチバックとは、急勾配などで電車(機関車)等の馬力が足りず、上がりきれない。そこで、Z型に上っていくことにより、頂上を目指していく。箱根登山鉄道などが一番有名である。
スイッチバック地点は(旧)大網駅ともなっていた。勿論、乗客が乗降できる旅客駅であった。スイッチバック線は、外房線(旧房総東線)の一部複線化工事が終了し、現在の大網駅が開業したと同時に廃止になった。しかし、1990年前半までは線路や踏み切りはそのまま残っており、記憶が確かならば、廃止された以降も貨物列車が通っていたかと思う。
①かつては(多分下り線の線路)単線だった。誤出発防止用のポイントを備え付けた場所である。よく見ると、架線中が一本だけ左側に飛び出していることからも判るように、ここに線路があったと言うことを示している。ここだけはまだバラスとが残っているが、ずっとこのままであり続けるのであろうか・・・。
②現在の本線と分かれて間もないところ。すでに高低差は2m程度ある。最近になって鉄の柵が建ってしまったので、もう敷地内に入るのは不可能となってしまった。
③ここはもともと踏切が敷かれていた場所であるが、道路を再舗装しなおした時に全て取り払われてしまった。また、その先(旧大網駅方面)も改造工事が進んでおり、『未来に残す町つくり』が着々と進行しつつある。
④もう一ヶ所存在していた踏み切りも再舗装した時に全て取り払われてしまった。土地を手放したこともあり、かつての線路上に家が建っている。果たして、ここの住民はかつてここを鉄道が通っていたことは知っているのであろうか・・・。
⑤現在の東金線との合流地点手前。このカーブに沿って線路が敷かれていたことが一目でわかる。線路を撤去した時に、一緒にガータ橋も取り払ったと思われる。
⑥⑤の反対側。ここは踏切があるのだが、直ぐ手前まで連絡線の線路が残っている。現在の使い道は、機関車の留置や、荷物の積み下ろしようとして利用されている。
⑦(旧)大網駅がここに存在していたことを記念して腕木式の信号機が建てられている。これを見ても分かるように、昔は2灯式(止まるか行くか)であった。また、記念碑「旗ふりて 出征兵士見送りし 駅舎の跡に 子らの歓声 (大塚喜一)」もあった。
⑧⑦の場所は現在、ゲートボール場と公園になっている。しかし、紛れもなく以前は(旧)大網駅であった。ここが(旧)大網駅だと知っている人は、外房線(旧房総東線)を知る鉄道ファンと、周辺地域に住む50代以上の中年世代くらいしか知らないであろう。
⑨ここが最終的に現在の東金線へと合流している地点。ここは既にバラストまでも取り払われており、形跡のみが残っている。
⑩昔の線路を利用して、今は「大網保線区」となっている。右側に大きく広がる空き地からも分かるように、現在の蘇我駅と同じく、旅客駅と貨物駅(ターミナル)が一体となっていた事が分かる。しかし、(旧)大網駅には、ターンテーブルがあったらしい。
⑪今現在も利用されている大網駅(東金線ホーム)へと繋がる線路。おそらく、右側の線路が昔利用されていたのではないかと思う。
⑫そして、一番奥に見える線路が、東金線から外房線(土気方面)へと繋がっている。
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