このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
いきなりわけのわからない画像で申し訳無いです… |
この妙な「ナソバ」行きの153系のような南海電車。 |
キャビンにてふてくされた顔で操っているのは幼少の私。 |
ふと、昔のアルバムを引っ張り出して浸る。 |
そこには、「みさき公園」で家族と共に遊び回った記録が |
今も鮮明に残っていました。 |
というわけで、今回は「みさき公園」を書き綴ってみようと思います。 |
当時のアルバムから。園内をぐるりと一周するモルール。 御覧のように、車体色は南海グリーンとは遠く離れている。 後に見えるのはロープウェイ乗り場と観覧車。 桜が綺麗で、とても華やかな写真ですね。
ですが、この画像に写っている物は、全て現存しないのです… | |
そして…なんと園内を蒸気機関車が! 辺りには大勢の見物客も。 ちなみにこれ、「弁慶号」と命名されていました。 50mくらいの線路をただ行ったり来たりするだけでしたが、 みさき公園に行く時はいつも両親にせがんでずっと眺めていました。 ちなみに、これも今は過去の物になってしまいました。 機関車は何処へ行ってしまったのでしょうか。
追記:この機関車は「義経号」で、この後花と緑の博覧会で展示走行したのち、 交通科学博物館にて静態保存、そして京都鉄道博物館で動態展示となる予定です。 | |
あ、これはオマケです。 父親に新大阪に連れて行ってもらった時のものです。全車大窓の0系です。 こうして見ると、何気ない写真も結構貴重な記録になるんですね… |
みさき公園と言えば、鉄ヲタには欠かせない20000系「こうや」の保存とその顛末。
あっけなく解体されたのは有名ですが、現在は…
このようになっています。何とこうや号は鶴になってしまったようです(鬱
左の画像を見ていると、無理矢理カーブした窪みに過去を思い出すことが出来る。
ちなみに、当時の写真もある筈なのですが、今回は発見できず。発見次第、掲載しようと思います。
(発見しました。それではどうぞ)
幼少の頃、高野山に家族旅行をしたときのもの。 乗車中の20000系「こうや号」から見た30000系「こうや号」 あの・・・20000系の画像は!?
ちなみに、帰りはおねだりして22000系で帰りました。 私ゃこの頃から通勤型偏向だったみたいですね。 | |
そして運用を外れた20000系。 みさき公園に来た時は嬉しかったです。 車内には鉄道関係の資料や模型などなど。 7100系の模型が欲しかったなぁ…
ちなみに写っているのは私でありますが、敢えて目線を入れることも無いでしょうか。 南海ホークスの帽子がいい味出してます。 |
ここより、画像は2001年11月25日に撮影したものとなります。
ここは遊園地だけでなく、動物園を併設しているのも魅力です。
体裁はこじんまりとしていますが、なかなか有意義な時間が過ごせます。
![]() | みさき公園の歴史は、短いといえば短いが、長いと言えば長い。 このように朽ちた階段がそこらそこらにある。
昔はどんな風になってたんでしょうねぇ。 | |
![]() | 登りつめると、このような構造物が。 当然、放置プレイされている。
野外露出AVの撮影にモッテコイですな | |
![]() | 中には大量のベンチが暇を持て余していた。 みさき台とは、みさき公園-淡輪間に展開する新興住宅地のこと。 旧社紋と妙な「み」の字体が目を引く。 | |
![]() | たんのわ苑とは、我らが淡輪にある淡輪遊園の頂上に位置していた南海系の旅館。 タワー型の看板が良く目立ち、長きに渡って淡輪のシンボルであったが、 これも現在は思い出の中でしか見ることができない。 しかし結婚式場って…そんなに大きな旅館ではなかったと記憶しているのだが… | |
![]() | 二度と水で潤うことは無かろう。 ていうか、ここは廃墟サイトかいな… | |
![]() | 久々に観光灯台へと上がることにした。 ロープウェイが健在の頃は容易に行くことが出来たが、 廃止後長らく徒歩にて…というか登山を経て辿りつくという試練があった。 現在は新設されたリフトで楽々登頂。
勿論、山登りも楽しめるようになっている。 | |
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これがロープウェイの遺構。いや、ここは鉄ヲタサイトであって、決して廃墟サイトではないのだが… | ||
![]() | 反対側(のりものコーナー側)にも遺構は残っている。 何やら、一抹のむなしさを感じてしまう。 | |
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灯台より眺める。山中にポツリとある構造物が反対側の駅となる。右の画像はその駅。物置のような使われ方をされているようだ。 ちなみに、観覧車は上の画像と同じ物ではなく、一度造りなおされている。 この時点では、まだ宙返りコースター「ドルフィン」が残っているのがわかる。 ※追記 園内の改装に伴い、上記の建物・リフト・遺構も現存しません |
![]() | 灯台よりの俯瞰です。 実に絶景なり。みさき公園を訪ねた時は是非。 周りは家族連れでマターリしていました。ここで私達も昼飯を。 #我が実家も写ってます |
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浜側には催し物館があり、大きなお兄さんの間では「おじゃ魔女どれみ」なんかのイベントで有名ですが、 この時は仮面ライダーを催していました。しかし色んなライダーが居るんだな〜 …左のカットはおなじみのショッカー。不精ヒゲまで生えていてちと不気味。 右のカットには密かにジムニーLJ20が。
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![]() | みさき公園には、ジェットコースターが2つあった。 そのうちの1つがこの普通のコースターだ。 鉄道橋顔負けの見事な構造の橋梁や、2条のレールを見ていると何やら鉄心がうずうずする。 もう一つは、先ほども少し触れたのだが みさき公園を語る上では欠かせない宙返りコースター「ドルフィン」。 出来た当時は、あまりの珍しさに四国から 船に乗ってはるばるやってくる人も居たというほどの人気であったが、 絶叫マシーン全盛の現在、その輝きも徐々に失われていったのだろうか。 2002年春、ドルフィンは形無き物となった。 同様の物は生駒山上遊園地にもあったが、現在はどうなっているのだろうか。 幼少の頃は、毎週日曜になると ドルフィンの轟音と、黄色い絶叫が自宅まで頻繁に聞こえてきたものでした。 |
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![]() | おおっ!!こやつは稲中でも有名なペーペポじゃないか!! 黒の部分が妙に茶々けているが… ああ…持って帰りたい(嘘 |
現代の遊園地が絶叫化、テーマパーク化が進む中、このような家族連れでマターリと遊びに行ける遊園地は | |
貴重なのではないでしょうか。この日も天気が良かったので親子連れが沢山戯れていました。 | |
不況や休日の過ごし方の多様化、そしてUSJの開業により、遊園地の入場者数が軒並み冷え込む中、 | |
みさき公園は微量ながらも入場者数が増えているそうです。 | |
これからも、まったりとしたこの雰囲気を大事にして頑張って欲しいものです。 | |
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最後に…鉄ヲタサイトなんだから、電車の画像も貼らねば… | |
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現在は亡き「0系ひかり」と「485系つばさ」の(以下略…お後がよろしいようで… |
2003年10月27日修正、スキャン画像に貼り直し
2014年6月14日 追記
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