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証言する橋本和正さん(2012年証言集会にて)

以下は橋本さんの手記の転載。


日本の加害の歴史から
出発する私の戦争反対
                            橋本和正 手記

 私の叔父、橋本忠は、旧陸軍歩兵第11連隊に所属し、太平洋戦争開始時にはマレー半島上陸作戦を経て、続くシンガポール攻略戦にも参加しました。19428月までマレー半島に駐屯し、その後豪北諸島に移動、終戦間際に「偽装病院船」橘丸事件でアメリカ軍の捕虜となり、フィリピンで終戦を迎えてそのまま復員しました。しかし、戦犯容疑で逮捕され、1947年にイギリス軍の戦争裁判(クアラルプール法廷)で死刑判決を受け、翌年12日に死刑執行され29歳の若さで亡くなりました。

29歳といえば私たちの息子たちと同じ世代です。叔父はなぜ戦争裁判の被告にされ、どんな理由で死刑を宣告されたのか?その全貌がある研究者の調査・出版した資料から明らかになりました。私はその事実に愕然とする一方で事実はきちんと受け止めなければならないと思いました。事実から目をそらしていたのでは、私たち自身の責任が問われるように感じたのです。

 広島のお堀の東側、バレーコートに近い木立の中に、一つの石碑と一対の石の門柱が立っています。歩兵第11連隊の碑とその連隊の入り口の門柱がモニュメントとして置かれています。旧陸軍歩兵第11連隊は、広島に根拠を置く第5師団の中心部隊であり、また広島の郷土部隊でした。石碑にはこの部隊が満州事変以来の対中国戦争において、中国大陸の各地にたびたび派遣され、太平洋戦争が始まった1941128日にはマレー半島上陸作戦に参加したことなどが紹介されています。 

 しかし、広島から派遣されたこの歩兵第11連隊が、シンガポールを占領した後にマレー半島のネグリセンビラン州に治安粛清部隊として配備され、19423月から中国系住民(華僑)の粛清行動を繰り返していたという事実は、石碑には記されていないし、人々には、ほとんど知られていません。

 シンガポールが陥落した直後、作戦にあたった第25軍は各師団部隊にマラヤ全域での治安粛清を命じました。歩兵第11連隊がマレー半島に移動し、連隊本部がセレンバンに到着した翌日の1942227日、「ネグリセンビラン州の迅速なる治安粛清をなすべし」との命令が下され、この命令により33日から325日までの間に計6次にわたる粛清作戦が行われました。敵性分子とみなされた中国系住民が女性や子どもも含め多数殺害されました。当時、その有様を目撃した人たちによれば、男は5,6人ずつ数珠つなぎにされて、ゴム園や林の中に連れて行かれ、銃で撃たれたり、背後から銃剣で突かれたりしたといいます。女性や子どもは家に閉じ込められ、機銃掃射された後、家ごと火を放たれたといいます。赤ん坊が一人の兵士に空中に投げられ、落ちてくるところをもう一人の兵士に銃剣で串刺しのようにされ、軍靴に踏まれて銃剣から抜かれたことを目の当たりにした住民もいます。住民が丸ごと殺され、家には火がつけられて、村が廃墟になってしまったところがいくつもあるのです。現地の華人団体の調べでは、ネグルセンビラン州で4千人余り、マラッカ州では、千数百人が犠牲になりました。

 ネグリセンビラン州での大きな粛清事件として、イロンロン村(犠牲者1474人)、パリティンギ村(犠牲者675人)、スンガイルイ村(この事件は8月、犠牲者368人)の事件が現地では知られています。戦後イギリス軍によってこれらの事件について戦争裁判が行われていますが、被告はすべて歩兵第11連隊の関係者です。

 私の叔父が事件に関与したとされ被告として裁判にかけられたのは、スンガイルイ村事件です。この事件では、小隊長であった叔父が部隊を率いて、不法な住民殺害に関与したとされました。日本軍は現地において、マレー系の住民に自警団を組織させ、警察のような役割をさせていました。かねてより中国系抗日組織が活動しているとの情報があったスンガイルイ村の付近で、自警団のマレー系住民の男が誘拐され殺害されたとの情報が近くに駐屯する中隊に報告されました。直ちに、部隊に「抗日組織の討伐命令」が下され、報復的に中国系住民の殺害が行われたのです。殺害された住民は武器を持たない非戦闘員であり、抗日組織グループとは直ちに断定できない人たちでした。

 イギリス軍による戦争犯罪者に対する裁判の特徴は、現地においてそれぞれの住民殺害事件に関与した部隊の責任者が裁かれたことです。軍の上層部にいて命令をした司令官や参謀たちは、裁かれていません。ある意味では不十分な裁判と言えるかも知れません。しかし、住民の前で繰り返し行われた住民虐殺は、住民の告発と証言で十分裏打ちされた事実であることに違いがありません。

 戦後65年が経過しようとする現在、中国やアジア各地から日本の加害の歴史や非人道的な事実が数多く明らかにされつつあります。歴史の事実から目をそらし、歪めようとする人もいますが、私たちは、その一つ一つに目をむけ、現地からの声に耳を傾けるべきだと思います

 日本の加害の事実に向き合って、再び戦争は起こさせないために行動する、それが私の戦争責任だと思っています。

(参考文献)

「マラヤの日本軍」青木書店(1989年)高嶋伸欣 林博史編集

「華僑虐殺」すずさわ書店(1992年)林博史著

「裁かれた戦争犯罪」岩波書店(1998年)林博史著

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