このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

アジアフォーラム横浜

1998年証言集会
日本軍は何をしたか!

シンガポール陥落

この集会は1998年12月8日
神奈川県民センターホール
で行われました

〜謝昭思さんの証言を聞く会〜

謝昭思さんは、10歳の時、日本兵に虐殺された村で奇跡的に生き残りました。泥の中から4日後にじ自力では出でたのです。

歴史を闇に葬らないで!

証言 謝 昭思さん(シンガポール)

講演 林 博史さん(関東学院大学)
    「シンガポール戦と住民虐殺」

報告 高嶋伸欣さん(琉球大学)

呼びかけ人
高嶋伸欣(琉球大学) 山本義彦(静岡大学)
西野瑠美子(ルポライター) 
林博史(関東学院大学)
本間昇(神奈川歴教協)大森典子(弁護士)

 謝昭思さんは10歳の時、村が日本軍に襲われ、25人の家族の中で、父を含む21人が虐殺され、自らも殺傷寸前で、死体が放置された泥の中から這い出して奇跡的に命拾いするという悲惨な体験をされました。ご家族の死体を葬る力もなく、腐敗し白骨化する中で暮らさざるを得ず、絶望した母が謝昭思さんと心中しようとしましたが、謝昭恩さんの泣き声で駆けつけた村人に助けられました。その時の様子や日本軍の虐殺の様子を、後に謝昭思さんは絵に描いて記録されています。
 12月8日未明、マレーの侵略を開始した日本軍は、マレー半島を一気に南下し、英国領のシンガポールを攻略、2月には占領しましたがその陥落直前の虐殺でした。
 講演「シンガポール戦と華人虐殺」(林博史関東学院大学教授)で、謝昭思さんの体験が日本軍のマレー侵略作戦の中でどう位置づくかも明らかになりました。

泥の中から這い出して

日本帝国主義が絶対に復活しないように

 「日本人はあまりに残酷だ。日本に行って直接この怒りを伝えたかったし、謝罪と賠償を求めたかった」謝昭思さんは、日本に行けば殺されるかもしれないと心配されるご家族の反対を押し切って来日されました。謝昭思さん自身も不安だったそうです。
 集会では謝昭思さんの「二発しか落とさなかったが、原爆は落とされて当然」という発言が波紋を呼びました。私自身の体験でも、「原爆がわれわれを救った」とか「原爆をもっと落として欲しかった」などは、アジア諸国でよく聞く言葉でしたので、謝昭思さんの特別な発言とは思えないのですが、初めて聞く方にとっては、非常にショックだったと思います。それだけ残虐な行為が行われ、無法がまかり通ったという、50数年前の史実と、その後の無反省を抜きにこの言葉の持つ意味は理解できないと、改めて思いました

事実を伝える証言集会を

 証言の最後に「日本国民は歴史を闇に葬らないでください」「日本帝国主義が絶対に復活しないように」と謝昭思さんはおっしゃいました。シンガポールの戦争被害、特に「大検証」の証言は非常に困難です。でもぜひ知る必要のある日本の加害の事実ですから、今後も追及していきたいと考えています。
 戦後54年目、時との競争ですが、証言者から直接事実をお聞きする集会に今年も取り組み、謝昭思さんが心配される「日本軍国主義の復活」を許さないための活動を続けたいと考えています。これまで同様、温かく力強いご支援をお願いいたします。また、事務局会議はアットホームで楽しい、こじんまりした集まりですので、ぜひ気軽に仲間入りしてくださることを心からお待ちしています。
           [アジア・フォーラム横浜事務局長  吉池俊子 (1999年4月)]

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