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             七色とうがらし通信            vol.30 11.12.3  

                                                   発行 吉川 厚   
<シリーズわたしはたびびと>
沖縄・八重山にいってきました。vol.29の書き出しと同じですけど…。

まちのよる
 石垣空港にJTA機が着陸したのは、夜の7時半をまわっていました。石垣に泊まるのは5年ぶりでしょうか、はじめて八重山に来て以来です。ユースホステル八洲旅館(やしまりょかん)も懐かしい。タクシーを降りると、雨を避けるために、いそいで中に飛び込みました。「うちに来るのははじめてではないですよね」いきなり聞かれ、いぶかしげに、ええと答えると、「はじめての人はためらうんですよ、ぼろだから。」
 人口がどのくらいなのか知りませんが、石垣は、八重山唯一のまちです。「南風(ぱいかじ)」という居酒屋で、おそい夕飯にしました。ぱいかじというのは、ちょっとHな想像をするとすぐ覚えられます。島豆腐のニンニク風味、ラフティ(豚の三枚肉の煮付け)、ナーベラ(へちま)チャンプル、チャーハンを頼んだら、多すぎるから、チャンプルとチャーハンは半サイズでつくってくれるといいます。いつものとおり、オリオンビールの生をぐびっとやって、がつがつ食べました。沖縄料理は、最初、とっつきにくいのですが、2回食べると病みつきになります。
 ほろ酔い気分で、まちをうろつくと、Jazzすけあくろうというショットバーがありました。ママさんは、けっこう若く、わたしと同じくらいでしょうか。(わたしが若いかはともかくとして)
男女の客がカウンターで話しています。わたしもカウンターに座り、島ベースのカクテルを注文しました。泡盛をグレープフルーツジュースでわっています。細くて、揚げてあって、芳ばしいおつまみもだしてくれました。なにかと思ったら、パスタ。隣の男女は、どうやら連れではなく、客どうしのようです。女性は旅行者、ひげの男性は、近くでスナックをやっているといいます。今日は休みじゃないんだけれど、客がいないからいいんだそうです。陰陽という店なので、いってみてください。ママさんも含めて、全員、東京ものでした。お勘定を頼むと、600円。いいの?

最南端のしま
 波照間(はてるま)島は、石垣から船で1時間のところ、人の住む島では、日本最南端です。以前いったときは19人乗りのセスナで、座席は指定されておらず、乗り込んでからバランスをとるために、あなた、ここと席を指示されます。島影をみながらの遊覧飛行だと思えば、けっして高くはありません。波照間の飛行場には、人が通るとピンポンとなるやつがあるのですが、はい、こっちと、わきを通って飛行機に乗り込みました。ハイジャックしほうだい。でも、燃料がなくなって、きっと、すぐ落ちてしまいます。今日は、直前まで、西表(いりおもて)にいこうか迷っていたので、船になりました。出航すると、すぐ竹富(たけとみ)島がみえ、やがて、小浜(こはま)島、そのうしろに西表島がみえてきます。黒島を過ぎる頃から、波が高くなりました。右手には、まだ、未踏のパナリ島がみえます。ただ、サイロのような建物があり、なにもないんだろうなぁという、かってなあこがれに、水をさされてしまいました。はてるまというのは、果てのうるま(珊瑚礁)という意味だったと思います。港には、民宿の車がたくさん(まあ5、6台)迎えに来ていました。今日の宿はけだもと荘です。荷物をおくと、自転車で最南端をめざしました。といっても、ちんたらちんたら。3メーターくらいに育ったさとうきび畑を風がぬけていきます。突然、め〜という声がして、ふりむくと、やぎがこちらをみています。波照間には、放し飼いなのか、野良なのか、突然、草むらから、やぎが顔をだしたりします。時のながれが1/3に、重力が1/10になったような錯覚を覚えます。最南端は、まあ、最南端という感じ。碑がなければ、わかりません。わかったらこわいけど。
 お昼は、パナヌファという島唯一の喫茶店です。豚肉の香り揚げが今日の定食だというのでたのみました。というか、選択肢は、あとカレーだけです。もちろん、オリオンの生をぐびぐびやりながら、JTAのスチュワーデスさんにもらった絵葉書を書きました。パナヌファというのは、花の子という意味だと壁に貼ってあり、帰りぎわ、何語ですかと聞くと、はてるま語だといわれました。
 波照間には、ニシ浜という、それはきれいなビーチがあります。実は、島の北側にあるのですが、はてるま語で、北のことをニシというそうです。昼寝にもあきて、酔いもさめたので、泳いでみることにしました。魚はあまりおらず、風も強いので、早々に引き上げました。

ニシ浜で会いました
 翌日、朝の船で島を出るつもりだったのですが、なんとなく、もう少しいたくなり、昼の船にかえました。自転車でニシ浜に来ると、女の子がひとり、海をみていました。聞くと、民宿たましろに泊まっているといいます。昨日、泳いだのだけれど、おもしろくなかったという話しをすると、リーフの外にでれば、魚もいっぱいいるといいます。もう1泊して泳いでみるかという気になりました。さっそく、たましろにゆき、泊めてもらうことにして、昼の船で着いた男の子のGくんと、女の子のSさんを誘って、シュノーケリングです。午後からはあいにく曇り、小雨まじりで風も強いのですが、チャレンジャーです。リーフの外までは、えんえん、歩いたり、泳いだり。Sさんは途中で引き返してしまいました。後で聞くと、たまらなく寒かったのだそうです。わたしは、これっぽちも寒くありませんでした。デブも少しはいいことがあります。リーフの外には、熱帯魚が泳いでいました。おー、という感じではなかったのですが、けっこう、楽しめました。Gくんは、フィンをつけているのに、力まかせのバタ足をします。浜では、最初に会ったMさんとSさんが待っていてくれました。

たましろの夜
 たましろは、知る人ぞ知る民宿です。夕飯は、外のテラス(そんないいもんじゃありませんが、暗くなるといい感じ)で食べます。波照間産の幻の泡盛、泡波をだしてくれました。食事のボリュームはすごい。刺身、汁物、煮物、ジーマミ豆腐(ピーナツ豆腐)と書けば、そうでもないのですが、1品1品が超大盛りです。でも、豚のだしがよく効いていて、おいしく、みなでお話ししながらゆっくり食べれば、完食も夢ではありません。G君はママチャリで日本縦断し、最南端まで来たそうです。夜11時、灯りが消されるまで、まったりとしていました。
 翌朝、海は大時化です。5メーターの波。波頭から船が落下します。なんとか、竹富島にたどりつくと、傷ついた体がいやされていきます。でも、その話しはまた、いつか。 きっと。
 

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