七色とうがらし通信 vol.31 2000.1.18 発行 吉川 厚
<シリーズわたしはたびびと>
ベトナムなんぞにいってきました。バックパッカーぽいのは初めてです。帰国した当初は、ああ、日本はいいなぁとしみじみしていましたが、時間がたつと、ベトナムもあんがいおもしろかったなぁと思うようになりました。
ほわーい?
サイゴンのまちを歩いていると、商売熱心な声が飛び交います。(たかりともいいます)。シクロ(自転車の前に座席がつけられている。前輪が2輪)だったり、バイクタクシーだったりしますが、小学生くらいの女の子の絵葉書売りにも出会います。いらないというと、彼女たちは「ほわーい?」と体の何倍もの声で叫びます。なかには、「なんでぇー」と日本語で叫ぶ娘もいます。なんでいらないのかをつたない英語で説明するのはむずかしいのですが、だからといって、買ったりしません。郵便局にゆけば6,000ドンで売っているものを、1$というのですから。(1$=14,000ドンです)
バイク
もう、ベトナム人は、バイクが飯より好きです。みんな、問答無用で走り回っています。ときどき、おまわりさんに捕まっていますが、どういう基準で捕まえているのか、知る由もありません。クリスマスイブとニューイヤーイブはすごかった。ふだんでも、横断するのはひと苦労なのですが、バイク持っているやつは全員走りに来たんじゃないかと思えるほどです。彼らは、バイクでどこかにゆくのではなく、ひとばん中、ひたすら走っています。
メコンデルタ
メコン川は、九つの龍になって海に注ぎます。そこに広がるのは、メコンデルタ。3dayのツアーに参加したのですが、ひたすらboattripです。多い日は7時間乗っていました。ボートが来ると、リバーサイドのこどもたちが、はろーはろーとさかんに手をふります。こちらも、笑顔で応えます。でも、7時間もやっていると、いいかげん、うんざり。ほとんど、てんのうへーか状態です。
Italian
イタ飯を食ったのではなく、イタリア人のことです。彼らは、親切です。ツアーには5人の日本人が参加したのですが、誰もかたことで、ガイドがいっていることがわかりません。だって、15分もしゃべった後に、「Any question? Japanese,ok?」っていわれてもわかるかよ。でも、イタリア人が引率してくれました。イタリア人に親切にされた話しは、別の人からも聞いたので、信憑性があります。姉ちゃんだけ、追いかけているわけではなかった。
事件は、チャウドックというまちで起きました。ホテルにチェックインした後、食事をするためにまちの中心部までバスで送ってもらい、帰りは各自でとういうことになりました(これも教えてもらったのだけれど)。肉や魚、野菜の炒めものをご飯にのっけたものをComといい、ベトナムではポピュラーな食事です。ベトナム料理はまったく辛くなく、さっぱりした中華料理という感じです。これで、10,000〜20,000ドンくらい。円換算するときは、0を2つ取りましょう。つまり、100円くらい。ビールも、10,000ドンくらいです。snakeもあって、Germanが食べていました。おまえもチャレンジしないのかといわれましたが、謹んでご遠慮しました。さて、Italianのところに料理が運ばれてくると、彼は、上にのっている香草をどけろといっています。ウエイターは、いったんひっこんで、また、別の香草をのせてきました。payとなって、Italianが金を払わないといいだしました。注文するときに、コリアンダーは入れるなといったそうです。料理の中にも入っていて、気持ちがわるくなったのだから、金は払わんと。まちの人も集まってきて、囲まれてしまいました。店の人より、野次馬の方がエキサイトしています。ItalianもPoliceを呼ぶなら呼べと、一瞬即発です。店のおばさんが、もういいわよという感じで、その場はおさまりました。ホテルまで、20分くらいの夜道、襲撃されるんじゃないかとひやひやでした。
ホテル
サイゴンでは、シンホテルといういわゆるミニホテルに泊りました。サイゴンは、もちろん、ホーチミンシティという立派な名前がありますが、みんな、サイゴンと呼びます。ゲストハウスという、普通の家の1部屋を借りる場合は、2〜3$。夜中に帰ると、部屋を明け渡した家族がろうかで寝ていたりするそうです。ホテルも、5$くらいだすとホットシャワー付の部屋に泊れます。10$いくとエアコンがつきます。部屋を見せてもらい、ホットシャワーがでるか確認して、値段を決めます。大きいホテルの方が扱いがぞんざいですね。特に英語ができないと。国営ホテルはいわずもがなです。まあ、かたことでも、あれがしたい、これをくれというのは、じゅうぶん、通じますが。
ダラットの青い空
メコンデルタからサイゴンにもどり、翌朝のバスでダラットにむかいました。ベトナムには、
Cafeと呼ばれる旅行社がたくさんあり、路線バスとは別に、都市間にオープンツアーバスを走らせています。割高ですが、とても快適。ダラットは、仏印と呼ばれた頃につくられた高原リゾートで、軽井沢のようなところです。サイゴンから8時間くらい、最後に急坂を登りきると、視界がひろがり、こつぜんとまちが姿を現します。メコンデルタのくすんだ空をみていた目に、どこまでも深い青が飛び込んできました。人々もどこか温和で、バイクタクシーさえ、押しが弱い。サイゴンあたりから来ると、男は情けなくさえ感じますが、おばちゃんたちはしたたかで元気です。露店で、ずんどう鍋に、牛乳のような液体が煮えています。飲むというと、コップに砂糖をいれ、その液体を注いでくれました。うん、これは、豆乳です。ちなみに、ベトナムには、豆腐も、厚揚げも、湯葉さえあります。
このまちで、ぼくはひとりでした。サイゴンからいっしょに乗ってきた日本人が、翌朝、ニャチャンにむけて出発すると、まちで日本人の姿をみることはありません。まる3日、ガイドに単語をいくつか教えた以外は、日本語を話しませんでした。3日目の晩、心身ともにかなりまいっていて、夕飯も軽くすまそうと、まちに出ました。ホテルから、路地を抜けて市場の方へゆこうとすると、お好み焼きのようなものを焼いている店がありました。ツーリストは誰もいませんが、肝っ玉かあさんが座っています。食いたい。かまどに2つ、まるい鉄板があり、油を注ぎ、ぶたこま、干しエビを炒めます。それから、小麦粉を溶いたものを流し、最後にもやしをたっぷりと。甘酢につけていただきます。ううううっ、うまい。お好み焼きのようなかき揚げのような、どんべぇにのっているさくさくてんぷらみたい。だんぜんうまいけど。4枚ぺろりとたいらげました。外に出ると、体に力がみなぎります。食べ物って、すごい力があります。夜のまちにゴー。市場で、おばちゃんから柿を買いました。
ボートトリップ
ダラットから、また8時間バスに揺られて、海辺のリゾート地、ニャチャンにつきました。翌日は、4島めぐりのボートトリップです。朝、飯を食いにゆくと、日本人がいるではないですか。3日ぶりでしゃべくりました。ボートに乗ると、こどもが日本語をしゃべっています。「君は日本人なのかい?」と聞くと、おかあさんが熊本の人だそうです。おとうさんは台湾人。11歳だそうです。女の子もいたので、「おねえちゃんは?」と聞くと、妹でした。「また、いわれた。」彼の自尊心はちょと傷ついたようです。おとうさんは温和なできた人で、船の屋根の上で食事をするときに、はしなど配っていました。
シュノーケリングができるというので、ざぶんといくと、にごっていました。なんでも、今の季節は、こんなものだそうで。おまけに、潮が速くて、流され、救出されてしまいました。海の男はたくましい。ほれちゃうね。今日は、あいにくの曇り空。雨までぱらついています。でも、屋根の上でうける風は、とても気持ちいい。
やぎでさよなら
大胆にも、夜の11時にベトナムを離陸するその日、バスでサイゴンに帰ってきました。バスに乗り合わせたOさんと、最後の晩餐。Cafeに唯一人、日本人のお姉さんがいて、なにかとお世話になったのですが、やぎ鍋を勧めてくれました。教えてもらった店は、ベトナム人ばかり。隣の好感度カップルが、食べ方を教えてくれます。七輪があかあかと燃えている上で、まずは焼き肉。体がふるえるほどうまい。もう、ジューシーで、肉に味があって。つづいて、鍋。こちらはまあまあでした。こわいのでちびちび入れていたレバーを、おばちゃんががーと入れてしまい、なんだか、へんな味になってしまいました。ぜんぶ取り出したら、おばちゃんはさびしそうにみていました。
みんな、楽しそうにわいわいやっています。女の子4人連れなんてグループも焼き肉をぱくついて。メニューをみなかったというか、たぶん、ないので、いくら取られるんだろうと、これでぼられたら後味がわるいねといっていたら、2人で80,000ドンでした。ビールも飲んだし、これなら、満足。やぎとお好み焼きは忘れられない味です。そうそう、ベトナムといえば、生春巻きですが、これをおいてある店は、1軒しか、お目にかかりませんでした。揚げてあるのはよくあるけどね。生は、どうもポピュラーな料理ではないらしい。北の方のことはわかりませんが。
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