このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
ふたつの貝類館がある町−西宮 兵庫県西宮市にはふたつの貝類館がある。 JR西ノ宮駅前から阪神電鉄バスでマリナパークに向かう。西宮大橋を渡ると工場や倉庫の並ぶ一角を過ぎ、新西宮ヨットハーバーが見えてくると、海岸リゾート地のような雰囲気。 西宮浜という阪神高速湾岸線が横断する埋め立て地の南西部が高層住宅などが並ぶ西宮マリナパークシティという居住地になっていて、そんななかにあるのが、西宮市貝類館だ。西宮浜公民館と一体になった施設。設計は安藤忠雄、1999年5月に竣工した建物。 ![]() 東側に南北に貫く通路があって、鋼板屋根のある南側が貝類館、その北側に公民館。真ん中にヨットの浮かぶ水盤、という構成。 西宮市貝類館には、世界の貝を2000種展示しているそうだ。二枚貝、巻き貝、それにカタツムリも貝類なんですね、大きなものから拡大鏡で見るような小さなものまで、世界各地から集められた貝殻が並ぶ。その色合い、造形などを見比べる楽しさがある。 また、パネルやジオラマを使って貝類の生態なども紹介。ただ、貝殻を並べるだけでなく、そういった展示に工夫が見られる。とりわけ珍しいのは、生きたオウムガイが、水槽で泳いでいることだろう。 ![]() 室内にはコレクションが所狭しと並べられている。いちおう、分類されて並べられているのだが、形の決まった資料館と違うというか、ふつうの民家の各室に標本が並んでいるせいか、学術的な感じがまったくしない。 あちこちに世界各地で求めたらしい民俗資料的土産物なども並んでいるから、ただ膨大な数の貝殻コレクションを中心に、いろいろ収集物を見せているという印象だ。個人でやっている限りはそれでいいのだろうけれど、貝類館というからには、それらしく展示の工夫を、もっとしてほしいところだ。 ところで、菊池氏は、明治時代から続く西宮回生病院の院長も勤めた人である。いま、海岸べりにリゾートホテルような高層の病棟が建っているが、北側の正面玄関部分だけは昔の病院の建物が使われている。 日本貝類学会というのがあって、昭和3年に黒田徳米らによって創設された歴史ある学会だけど、その黒田徳米の愛弟子というのが菊池氏だ。先に紹介した西宮市貝類館は、菊池氏から寄贈された黒田徳米の貝類資料をもとにしている。 ふたつの明治西洋館 今回訪ねた西宮市南部(阪神高速神戸線より南側)には、震災を免れた明治時代の洋館が残っている。 ![]() 「白鹿」醸造元の辰馬本家酒造は、このあたりあった煉瓦造の酒造施設などを保存展示し、記念館とあわせて、白鹿記念酒造博物館として公開していたのだが、震災で多くの建物が失われた。そのなかで残ったのがこの洋館である。 現在、博物館は、倒壊寸前で残った明治2年造の木造大蔵が鉄骨フレームで補強され、醸造工程の紹介施設「酒ミュージアム酒蔵館」として公開されている。震災直後の生々しい写真などを紹介するスペースもあって、震災の記憶を伝える施設でもある。 ![]() ![]() 灯台と砲台 西宮は酒造の町である。阪神西宮駅から南へ数百mの久保町には「宮水発祥之地」碑があって、あたりは各酒造メーカーの宮水井が集まっている。 ![]() 設計は宝塚ホテルなどの設計で知られる古塚正治。オーダーの並ぶ古典様式の立派な建物だ。現在は、使われてないようだが、有効利用してほしてものだ。 ![]() これは「大関」の醸造元長部家が私費を投じて1810年に設けたものが最初。いま建っている木造の灯台は創建当時の姿に復元されたもの。しかし、灯台としては海上保安庁から承認された現役の灯台(航路標識)なのだそうである。 ![]() 1863年といえば、下関で長州藩が外国船に砲撃をしかけたり、京都では新撰組が暴れたりしてた頃ですね。これは、その頃、大阪湾岸部にいくつか設けられた砲台のひとつ。 この砲台、完成後、試射したら、内部に硝煙が充満、使用にたえなかったとか。けっきょく、実戦に使われることはなかったようだ。いまは国の史跡になっている。 御前ノ浜は、浜でバーベキューなど楽しむ家族連れなどが見られる海浜公園である。ここは、またの名を香櫨園浜といい、かつては、海水浴場で賑わったところだ。 明治時代のことだが、阪神電鉄がこの砲台の払い下げを受け、この砲台を納涼台として使ったことがあったらしい。(兵庫県歴史学会『兵庫県の歴史散歩(上)』山川出版社1975) |
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