このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

岩見沢駅構内

 通学のときには教科書や弁当は忘れてもカメラは手放さなかったので、珍しいシーンやスナップショットを撮ることができました。たとえば苗穂工場より検査を終えて回送されたときのD51+C57+C55の三重連などは普段まず見ることはできない組み合わせで、興奮したものです。
 この写真は、岩見沢駅の北側にあった岩見沢第一機関区にて撮影したものです。当時、岩見沢には駅の西側に東北以北最大の操車場があり、そこには電気機関車、ディーゼル機関車が配属された第二機関区がありました。全国的にみても二つの機関区があったところは、福島、高崎(群馬)、稲沢(愛知)、富山、敦賀(福井)、吹田(大阪)、姫路(兵庫)などで、数えるほどしかありませんでした。岩見沢が鉄道の要所として、いかに重要な役割を果たしていたかを物語っています。


苗穂工場での検査修理(全検)を終え、回送途中のC55 1(旭川機関区所属)
貴婦人の愛称で親しまれたC55は、当時、宗谷本線の旅客列車牽引で活躍。

(岩見沢第1機関区にて 昭和45年5月13日)



一見するとC57と違いがありませんが動輪に注目。
荷馬車の車輪のようにスポーク型になっているのがおわかりでしょうか。
うちの庭に飾りたいという豪快なガーデナーがいそうですね。
(同上)



帰宅するも気になりカメラを携えて再び夜の機関区へ。
わざわざ出かけていった甲斐がありました。まだそこに
いたんですね*
思い切ってシャッター速度1/8秒、フラッシュを焚いての撮影。
三脚がなかったのでやや手振れをおこすものの、どうにか写っていました。
ストロボなんて気の利いたものはなく、私にとって球は高価だったので
フラッシュによる撮影はよほどのことがない限りできなかったのです。
(同上)


*マニアはSLがそこに「ある」「ない」とはいいません。
擬人化して「いる」「いない」と表現していました。



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有限会社 川原花木園

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