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さようなら、急行「さんべ」と「大嶺支線」

 今年(1997年)3月22日の全国のJRグループのダイヤ改正で、鳥取−小倉間を結ぶ、ローカル急行「さんべ」が廃止されることになった。前々から、ダイヤ改正の度に、時刻表を眺めては、なんだ、まだあるのか、などと思っていたから、別に驚きはしないけれど、何となく淋しい気がするから、乗ってみようと思う。そのために、年玉をほとんど使わずに封筒に入れ、机の引き出しにしまい、鍵をかけておいた。
 きっぷも買いおわったあとで、私は、時刻表の3月号を眺めていて、驚いた。美祢線の、南大嶺−大嶺間の、通称「大嶺支線」が、3月限りで廃止されるという。これも、予期しえたことだけれど、こんなに早く廃止になってしまうとは思わなかった。どうせなら、ここにも乗りたい。私は、改めて出かけ直すよりは割安だ、と考えて、コースを練り直した。コースは、この旅行記を最後まで読んでもらえばわかると思うので、書かない。
 3月17日月曜日、22時少し前。大阪駅の1番線ホーム。これから、22時55分発の急行「だいせん」に乗る予定で、指定券も持っている。だが、発車まであと1時間以上もある。暇なので、指定券を取り出して眺めていると、けしからぬことを思い出した。というのは、約1ヵ月前、立花駅で、急行「だいせん」の指定券を買おうと、指定券申込用紙の「禁煙席」というところに丸をつけて差し出すと、窓口氏は、「禁煙席は無いみたいやなあ。禁煙席、って入力したら、入力エラーって出とる」と言った。時刻表の編成図を確認していなかった私は、驚いた。今時になって、夜行列車の指定席に禁煙席が無いとは!しぶしぶ喫煙席に変更したが、どうも納得いかない。
 22時35分、赤い、DD51型ディーゼル機関車に牽引されて、ブルーの客車5両が入線してきた。先頭の3両がB寝台車、次が指定席車、最後尾が自由席車、という編成になっている。ここで、また、けしからぬことに気付く。なんと、自由席車は全席禁煙なのである。煙草を吸う客に、500円の指定席料金を払わせるためかも知れない。

 22時55分、定刻に、急行「だいせん」出雲市行きは、底から湧きだすような、ディーゼルエンジン特有の音を立てて、酔っ払いが目に付く大阪駅をあとにした。すぐに、よくわからない曲のオルゴールが流れ、停車駅と到着時刻の案内が始まる。「さんべ」でもこの曲が流れ、おなじみの「鉄道唱歌」は今回の旅行では一度も聴かなかった。3月8日改正で、一挙に、新快速停車駅に成長した尼崎駅をかすめ、立体交差で東海道本線を堂々とまたぎ、福知山線に入る。

 宝塚に23時22分着。自由席車からは、贅沢な通勤客らが10人ほど下車。普通電車でも40分足らずの区間に、520円もの急行料金を払うとは、何事か、と思う。宝塚の次の生瀬から、三田の一つ手前の道場までは、1986年に新線に切り替わり、全国的に有名であった、「北摂耶馬渓」と呼ばれた武庫川の渓谷が見られなくなり、トンネルばかり続くつまらない区間で、山陰本線の嵯峨(現嵯峨嵐山)−馬堀間と同じような経緯をたどっている。あちらは、旧線にはトロッコ列車が走るようになり、余生を全うしているが、こちらは、いつ崩れてくるのかわからない、危険なハイキングコースになっている。

  23時41分、三田着。自由席車はもちろん、指定席車からも数人が下車する。三田を発車すると、車内放送が、「本日は、だいせん号をご利用いただき、ありがとうございます。本日は、もう、お休みのお客さまがおられますので、明朝、米子まで、車内放送をお休みさせて頂きます」と言う。そのあと、「では、改めまして、・・・」と各停車駅の到着時刻を延々と繰り返したあと、「それでは、ごゆっくり、お休みください」と結んで、また、あのよくわからない曲のオルゴールが流れ、車内が少し減光される。私は、夜行列車の車内放送で、「明朝」という言葉を聞くのが好きだ。「明日」とか「翌朝」などという言葉と、意味は同じであるが、いかにも、鉄道マンの言葉、という感じがする。

  日付が変わって、0時09分、篠山口着。ここまで、快速電車が約30分間隔で走っているが、とてもそうとは思えない程、山の中である。ここでも、通勤客らが下車する。篠山口を過ぎると、眠る人が多くなり、話し声が消え、車内には、規則正しいジョイント音だけが響く。こうなると、眠気が高まってくる。0時35分、柏原着。柏原駅の駅舎は、1990年の、大阪花とみどりの博覧会(花博)のJR西日本のパビリオン施設(蒸気機関車の駅)を移設したもの。果たして、読者が覚えているかどうかは自信が無い。

 1時01分、福知山に到着。福知山には24分停車で、ホームに降りる人も多い。私もホームに降りてみたが、寒い。とても3月中旬とは思えない。私は、自動販売機で、熱い、無糖コーヒーを購入すると、早々と車内に退散(?)して、コーヒーを飲みながら、福知山のホームを眺める。福知山には、昨年10月にも来た。あれからもうすぐ半年になるのか、などとしみじみと思う。昔、それこそ旧線経由時代、この「だいせん」が大阪出発後に大阪を出発する福知山行き普通列車があり、その普通列車は、終点の福知山に、「だいせん」が停車している間に到着するという、全国でも珍しい、「下剋上」と呼ばれる現象があったが、今はない。ちなみに、今は、関西地区の、ご存じ「新快速」が、全国で唯一の「下剋上」を起こしているが、戦国時代が終わろうとしているのか、ダイヤ改正ごとに、それは抑えられてきている。また、この「福知山下剋上」を利用した推理小説もある(西村京太郎「急行だいせん殺人事件」)。

 和田山に2時ジャスト着。ひっそりと静まり返ったホームに、駅員の持つカンテラがわびしく光る。このあたりから再び睡魔に襲われ、ふと気が付いたのは、城崎の次の、竹野に運転停車している時であった。このあと、香住、浜坂、鳥取、と停まって4時53分、倉吉着。ここから、快速列車となるので、早朝通勤客らがどっと乗ってくるものと思っていたが、乗り降りは殆ど無く、由良、浦安、赤崎、と停まっていき、やっと、通勤客らが目立ってくる。が、東京や大阪のそれと比べれば、圧倒的に数は少ない。大山口、淀江、伯耆大山、と停まって、5時54分、米子着。指定券は、出雲市まで持っているが、米子で降りることにする。というのは、急行「さんべ」が急行運転をするのは、米子−下関間で、他の区間は普通列車となる。どうせなら、急行区間は全部乗りたいし、なによりも、尻の痛い、中途半端な簡易リクライニングシートに愛想が尽きた。そんな訳で、米子で「だいせん」を降りて、途中下車。まだ6時前のこともあり、売店も、JR西日本直営のコンビニ「ハート・イン」も、「準備中」。仕方がないので、「みどりの窓口」に行き、まだ買っていなかった、下関までの急行券を買う。ベンチに腰を下ろして、時刻表を眺めて、今日の予定を確認する。

 6時30分になり、JR直営の「ハート・イン」がオープン。早速、菓子パン、サンドイッチ、飲み物などを購入。ベンチでもう少し休んで、6時50分、岡山行き特急「スーパーやくも2号」到着のアナウンスが流れたのをしおに、再び改札口を通り、「スーパーやくも」を眺める。自由席車はビジネスマンらでほぼ満席だが、立っている人はいない。指定席車は空席が目立ち、せっかくのパノラマ型グリーン車のごときは、若い女性がひとり、ぽつんと淋しそうに座っている。もったいない、と思うが、どうすることもできず、ただ指をくわえて眺める。 

 東京からの寝台特急「出雲1号」浜田行きが到着。カーテンの下りている個室寝台はわからないが、オープンタイプのB寝台車は閑散としていて、「空気を運んでいる」という言葉がぴったり合う。

 7時11分、鳥取からの普通列車が到着する。なんだ、などと思って見過ごしてはいけない。これが、ここ米子から、急行「さんべ」に変身するのである。鳥取−米子間は、うしろに、キハ47という普通列車用のディーゼルカーを2両連結して通勤輸送に一役買っているが、その併結車は、米子で切り離され、前2両のキハ28とキハ58のコンビが小倉まで行くのである。急行なのにたった2両なんて!と驚かれるかも知れないが、急行列車大削減時代の今日では、いたしかたない。ちなみに、今年3月18日の下り「さんべ」の編成は、下関方より、キハ28−2145+キハ58−291。製造は、昭和38年、新潟鉄工所。納入先は「日本国有鉄道」。
 下関方のキハ28(1号車)が禁煙車ということなので、1号車の車両のワンボックスに荷物を置いて領有を宣言してから、車内を観察する。便所のドアに、「停車中は使用しないで下さい」と書いたプレートが貼ってある。一目瞭然、「垂れ流し」である。おやおや、と思いながら、もう一つの便所を見ると、そこにも同じプレートが貼ってある。そのプレートにカメラを向けていると、丁度通りかかった車掌が、じろりと私を睨む。洗面所を覗くと、昔ながらのボタン水栓ではなく、新幹線100系の初期車などでも見かける、「押す」と書かれたレバーを押すと、しばらく水が出る、というものに改造してあったが、ろくに掃除もしていないのか、水アカがこびりつき、水温調節ダイヤルも、壊れているのか、回しても効かなかった。さらに、足元に目をやると、小さな金属製のカゴが置いてあり、「くずもの入れ 国鉄」と書いてあった。

 7時40分ごろになると、「本日も、JR西日本をご利用頂き、ありがとうございます。この列車は、急行「さんべ」小倉行きです。下関から先は、普通列車となります・・・」と、車内放送が始まる。

 7時45分、急行「さんべ」は、身震いしながら、米子をあとにする。そして、車内放送が始まるが、各停車駅と到着時刻、担当車掌の名前、この列車には車内販売も自動販売機も何も無い、1号車は禁煙車だから煙草は吸うな、と言ってしまえばそれだけで、再び沈黙となる。乗車率の方は、20〜30%といったところ。ワンボックスにひとり、というパターンが目立つ。列車は、こまめに停まりながら、客を拾っていく。生意気なことに、高校生の通学利用も目立つ。出雲市からは、それも消え失せ、停まるごとに、五、六人の客が入れ替わるだけで、車窓もこの辺りはつまらない。私は、一度、「垂れ流し便所」を使ってみよう、と便所に向かった。水を流そうとペダルを踏むと、やはりそうだ。きれいな、無色透明の水がペダルを踏んでいる間だけ流れる。「垂れ流し」ではない循環式便所の場合は、ペダルを踏むと、青い消毒液の混じった水が、30秒くらい、壊れたのではないか、と思える程長く流れ続ける。これは、水をろかして、何度も再利用しているため、水を節約する必要が無いからである。だから、この循環式の列車(殆どの特急・新幹線・新快速など)の終点間際にトイレに行くと、青い水が、心なしか茶色に濁っているのがわかる。ところが、「垂れ流し」方式では、流した水は、線路に、汚物もろともまき散らしているのだから、そんなに長く水を流すと、流す水が無くなってしまう。だから、ペダルを踏んでいる間だけ、きれいな、一度も使っていない水が流れるようになっているのである。便所にもあきて、再び、席へ戻る。

 10時22分に浜田に着くと、前の席に2人のおばさんが乗り込んできた。うるさくなるぞ、と思っていると、そら来た。おしゃべり攻勢である。「どこから来たの?」本当は大阪であるが、そう答えると、この田舎者おばさんのことだ。仰天して引っ繰り返るかも知れない。そうなると少し厄介なので、私は、「米子」と答えた。すると、おばさんたちは、目を丸くして、「へえ、米子?!米子も、今朝は寒かったでしょう?」そんなこと知る由もないが、福知山駅の寒さを思い出して、多分寒かったのだろう、と頷いた。おばさんたちは、「やっぱりね。本当に今朝は冷えたからねえ」と、勝手に納得している。

 三保三隅という、5文字中3文字が「み」という面白い名の駅に停まり、ひたすら走り続け、11時05分、益田着。私と、通路を挟んで向い側のボックスに座っていた2人の中年の男性の1人が、「昔は、ここで、山陰本線経由と、山口線経由に切り離してね。下関で、また、一緒になったりしてたんですよ」と言い、もう1人が、「ほう」などと言っているが、これは、実は間違いで、長門市で、山陰本線経由と、美祢線経由に分割して、下関で再び連結したのである。だが、そんなことを、「どうだ」などと言って威張るようなことでもないので、好きに言わせておく。
 他に書くべきことはないので、早速、と言うのも何だが、14時11分、無事、下関に到着。米子から354.3キロ・6時間26分・表定時速55.07キロの旅が終わった。また、この時点で、山陰本線の仙崎支線を除く、京都−幡生間全線完乗を達成した。

 次の目標は、美祢線の支線、南大嶺−大嶺間である。実は、美祢線は、山陰本線の長門市から岐れており、「さんべ」を長門市で降りた方が、接続もよかったのだが、「さんべ」に少しでも長く乗っていたいという野望を抱いたために、時間ロスの大きい山陽本線経由を選んだ。

14時21分発の岩国行き普通電車に乗る。驚いたことに、この列車も、トイレは垂れ流しであっ た。14時54分、美祢線との接続駅、厚狭に到着。次の美祢線経由仙崎行きは15時46分発までない。仕方がないので、キオスクで文庫本を買って、ひたすら待つ。

 美祢線は、旅客列車は、優等列車は無く、ワンマン運転の普通列車ばかり1日12往復しかない。それでも幹線というのは、日本が唯一、自給率100%を誇る、石灰石輸送貨物列車が頻繁に走るからで、実際、厚狭駅の3・4番ホームは美祢線貨物列車専用である。斜陽化しつつある我が国の鉄道貨物輸送だが、ここは、例外のようだ。ただ、いくら貨物列車が走ろうと、田舎には変わりなく、JR西日本自慢の新型気動車、キハ120のワンマンカーが、単行でのんびりと走る。周辺に人家などは殆ど無い。私は、そこに、「日本一の大赤字線」として全国的に有名だったが、1985年に廃止された、北海道の、美幸線(宗谷本線の美深−仁宇布)を連想した。もし仮に、石灰石が取れなくなったら、「地方交通線」格下げどころか、一気に全線が廃止されてしまうかと思える程である。

 16時08分、今年3月31日をもって廃止される通称「大嶺支線」が岐れる、南大嶺に到着。大嶺行きは1日6往復しかなく、次は17時04分である。だが、南大嶺駅の大嶺行きホームには、すでに、キハ23−1がエンジンをかけて待っている。こんな時なら、エンジンを切れば、とも思う。改めて辺りを見回すと、南大嶺駅自体も、小さな集落の中にぽつんと位置しているのがわかる。駅の向側の斜面は、石灰石の採掘現場で、ダンプカーが忙しく走り回っている。
 16時59分、厚狭からの普通列車が到着し、手に手にカメラを持った鉄道ファンらしき人物が、10人近く、大嶺行きホームに集まってくる。

 17時04分、大嶺行きが定刻に出発。鉄チャンのひとりは、吊り革にミニマイクを巻き付け、走行音を録音している。乗客12人のうち、所用で乗ったのは、地元のおばさん2人だけのようだ。あとは、見るからに怪しげな装備を抱え込んだ、私の同類たちである。大嶺支線は、しばらく、美祢線の本線と並走するが、1分もしないうちに、本線のほうが大きく右へカーブして離れていく。こちらのディーゼルカーは、雑草の生い茂った線路を、ひたすら真っすぐ、横揺れしながらゴトゴト走っていく。4分足らずで、大嶺に到着。本当に駅舎以外何も無い終着駅である。大阪駅と同じJR西日本の管轄区域とは、信じられない。駅前「広場」はあるが、だだっ広いだけで、何もない。遠くに、古い民家がぽつんと建っている。もう一方は低い山の斜面で、一面、森林である。いよいよ廃止される、というので乗りにきておいて、こんなことを書くのは不謹慎かも知れないが、今まで廃止されずに残っていたのが不思議な気がする。
 18時17分、いま来た道を引き返し、18時21分、南大嶺に到着。18時26分、仙崎発の単行ワンマンカーがやってきて、18時48分、厚狭。
 18時51分発の山陽本線上り小郡行き普通電車に乗る。JR九州の415系1500番台というステンレス車両の電車である。そのせいか、車内の吊り広告は、「ハウステンボスへはJRで!」などとJR九州のものばかりである。ところで、先程、下関から厚狭まで乗った、「垂れ流し」電車の吊り広告は、なんと、「JR東西線開業」と「Jスルー始まる」であった。JR西日本は、中央集権主義なのかも知れない。

 19時27分に小郡着。私は、新幹線コンコースへと向かう。上りホームの立ち食いそば屋でそばをすすり、缶コーヒーを飲みながら20時17分発の「ひかり144号」を待つ。
 「ひかり144号」は、JR西日本独自の、「ウエストひかり」車両で、普通車も2&2シートで、ゆったりしているが、外は真っ暗なので、面白くなく、目を閉じる。

 23時前、私は、眩いばかりの新大阪駅新幹線コンコースに立っていた。快速電車に乗ると、一枚の吊り広告が目に止まった。「3月8日、JR東西線開業!!」。
     

 

題    名
「惜別・さんべ旅行」
「魅惑の北の大地・北海道紀行」
「四国右往左往」
「中国山地の光と影」
「惜別・弘南鉄道黒石線と北海道紀行」

 

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