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旅行記
旅行記 No.003 | 山陰地方 方面 |
題名 | 「惜別・さんべ旅行」 著・真野 修史(RPS) |
さようなら、急行「さんべ」と「大嶺支線」
次の目標は、美祢線の支線、南大嶺−大嶺間である。実は、美祢線は、山陰本線の長門市から岐れており、「さんべ」を長門市で降りた方が、接続もよかったのだが、「さんべ」に少しでも長く乗っていたいという野望を抱いたために、時間ロスの大きい山陽本線経由を選んだ。
14時21分発の岩国行き普通電車に乗る。驚いたことに、この列車も、トイレは垂れ流しであっ た。14時54分、美祢線との接続駅、厚狭に到着。次の美祢線経由仙崎行きは15時46分発までない。仕方がないので、キオスクで文庫本を買って、ひたすら待つ。
美祢線は、旅客列車は、優等列車は無く、ワンマン運転の普通列車ばかり1日12往復しかない。それでも幹線というのは、日本が唯一、自給率100%を誇る、石灰石輸送貨物列車が頻繁に走るからで、実際、厚狭駅の3・4番ホームは美祢線貨物列車専用である。斜陽化しつつある我が国の鉄道貨物輸送だが、ここは、例外のようだ。ただ、いくら貨物列車が走ろうと、田舎には変わりなく、JR西日本自慢の新型気動車、キハ120のワンマンカーが、単行でのんびりと走る。周辺に人家などは殆ど無い。私は、そこに、「日本一の大赤字線」として全国的に有名だったが、1985年に廃止された、北海道の、美幸線(宗谷本線の美深−仁宇布)を連想した。もし仮に、石灰石が取れなくなったら、「地方交通線」格下げどころか、一気に全線が廃止されてしまうかと思える程である。
16時08分、今年3月31日をもって廃止される通称「大嶺支線」が岐れる、南大嶺に到着。大嶺行きは1日6往復しかなく、次は17時04分である。だが、南大嶺駅の大嶺行きホームには、すでに、キハ23−1がエンジンをかけて待っている。こんな時なら、エンジンを切れば、とも思う。改めて辺りを見回すと、南大嶺駅自体も、小さな集落の中にぽつんと位置しているのがわかる。駅の向側の斜面は、石灰石の採掘現場で、ダンプカーが忙しく走り回っている。
16時59分、厚狭からの普通列車が到着し、手に手にカメラを持った鉄道ファンらしき人物が、10人近く、大嶺行きホームに集まってくる。
17時04分、大嶺行きが定刻に出発。鉄チャンのひとりは、吊り革にミニマイクを巻き付け、走行音を録音している。乗客12人のうち、所用で乗ったのは、地元のおばさん2人だけのようだ。あとは、見るからに怪しげな装備を抱え込んだ、私の同類たちである。大嶺支線は、しばらく、美祢線の本線と並走するが、1分もしないうちに、本線のほうが大きく右へカーブして離れていく。こちらのディーゼルカーは、雑草の生い茂った線路を、ひたすら真っすぐ、横揺れしながらゴトゴト走っていく。4分足らずで、大嶺に到着。本当に駅舎以外何も無い終着駅である。大阪駅と同じJR西日本の管轄区域とは、信じられない。駅前「広場」はあるが、だだっ広いだけで、何もない。遠くに、古い民家がぽつんと建っている。もう一方は低い山の斜面で、一面、森林である。いよいよ廃止される、というので乗りにきておいて、こんなことを書くのは不謹慎かも知れないが、今まで廃止されずに残っていたのが不思議な気がする。
18時17分、いま来た道を引き返し、18時21分、南大嶺に到着。18時26分、仙崎発の単行ワンマンカーがやってきて、18時48分、厚狭。
18時51分発の山陽本線上り小郡行き普通電車に乗る。JR九州の415系1500番台というステンレス車両の電車である。そのせいか、車内の吊り広告は、「ハウステンボスへはJRで!」などとJR九州のものばかりである。ところで、先程、下関から厚狭まで乗った、「垂れ流し」電車の吊り広告は、なんと、「JR東西線開業」と「Jスルー始まる」であった。JR西日本は、中央集権主義なのかも知れない。
19時27分に小郡着。私は、新幹線コンコースへと向かう。上りホームの立ち食いそば屋でそばをすすり、缶コーヒーを飲みながら20時17分発の「ひかり144号」を待つ。
「ひかり144号」は、JR西日本独自の、「ウエストひかり」車両で、普通車も2&2シートで、ゆったりしているが、外は真っ暗なので、面白くなく、目を閉じる。
23時前、私は、眩いばかりの新大阪駅新幹線コンコースに立っていた。快速電車に乗ると、一枚の吊り広告が目に止まった。「3月8日、JR東西線開業!!」。
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