このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

長大ローカル線飯田線と碓氷峠(旅行記)

724日、TMSの旅がこの日始まった。メンバーは計5名である。これらのメンバーの旅がどんなものだったのか書いていこうと思う。

まず朝の6時50分ぐらいに、集合場所の京都駅烏丸中央改札口に、僕が着いた。その時にはMとK先生がすでに着いていてMはみどりの窓口でオレンジカードを買っていた。そしてそのあとにKが来た。Kは烏丸西口と勘違いしさまよった上におじさんににらまれたという。最後にNが、バスターミナルの方から来て全員そろって青春18切符でホームに入った。

7時02分、2番線に普通米原行きの電車が滑りこんできた。車内はすいていると思っていたが結構込んでいた。草津あたりですいてきて彦根をすぎると空席が目立つようになった。彦根より北は行ったことがなかった僕はこのあたりからもうワクワクする気持ちを抑えられなかった。8時15分に、無事に米原に着き、8時23分に117系快速豊橋行きにのった。このあたりから、駅名の看板に住所が書かれるようになっていた。9時01分に揖斐川を通り9時05分に長良川を通った。景色ものどかな田舎から都会の景色に変わっていき(ガス会社が多かった。)9時09分に岐阜駅に着くことが出来た。時間は9時代だというのに、車内は通勤ラッシュの様に込み合っていた。多くの人が静かに立っているのにこちらはボックスを占領して喋っていて少し気が悪かった。9時15分木曽川をわたった。下流ではまとまっている3つの川も上ではこんなに離れているとは全然知らなかった。9時16分、横を名鉄のパノラマカーが通った。そして、9時19分尾張一宮駅についた。前の名鉄では駅名は新一宮になっていた。それからしばらく同じような景色が続きそれが一層都会さを増しだした9時33分に名古屋についた。9時55分に刈谷で、米原を7時58分に出ている普通熱海行きを抜かし1004分に矢作川を通過し、1030分に豊橋に着いた。

さて豊橋駅で降りて次に乗るのは、飯田線である。たぶん飯田線を完全に乗車するのはこの日が最初で最後であろう。売店で「おしゃぶりこんぶ」を買い車内に入った。前から3両目にのったのだが、この電車は前2両が茅野行きで後ろ2両は途中で切り離されるのだった。それに気付いてすぐ前の車両へ行く。席がとれないかも知れない。しかし、何とか間に合った。そうこうして、1041分豊橋駅を発車した。しばらくするとどんどん山奥に入って行き、片方には山もう片方には川という景色が広がっていった。なんでこんな座りにくいシートなんだ、駅間隔がどうしてこんなに狭いんだ、スピードが遅い、などという不満はこのきれいな景色によってどこかへいってしまった。1143分湯谷温泉駅を通過した。側を流れていた豊川上流には滝が見られ、水はとてもきれいだった

やっと1222分に中部天竜駅に着いた。このあたりから大分疲れてきた。その時座席の上にお菓子の『トッポ』が置き忘れてあった。周りに誰もいなかったので拾得物としてたべたのだ。このことはあとでとても後悔することになった。僕はMと一緒にいるということを忘れていたのだ。さて、それから一番前へ行って景色をKと見ていた。すると、小さい男の子がきた。その前に座席で頭を打った子である。その子は「ATSって何のためにあるのかなー」と叫んでどこかへいってしまった。

1340分天竜峡についた。ここでお昼の駅弁を買うつもりだった。3分の待ち時間しかないのでNが走って買いにいった。しかし、売店のおばさんに「チキンカツ弁当」なんてないといわれ、時間がなくて焦っているために五平餅というものをつかまされた。車内で食べたのだが値段は安いが・・・・・・・。

1405分、まわってきた車掌にオレンジカードをみせてもらった。僕は「飯田線電車シリーズ」の計3枚、みんなのを合わすと9枚もこの車掌から買ったことになる。とてもありがたい客だっただろう。

1422分、元善光寺駅についた。長野県に入っているのでだからか、リンゴ畑などの果樹園がとても多かった。このあたりで椅子の上に置いてあったパンフレットを見つけ、もらった。隣の席のおじさんは、どこでとってきたの?とうらやましそうだった。

1614分辰野駅についた。これで飯田線も終わりだと思うと少し寂しい。6時間乗りっぱなしでホントにつかれたけれどこの車両には愛着を感じるようになった。

1626分終点岡谷に着き、そこで32分の169系松本行きに乗り換えた。そしてまた松本で115系長野行きに乗り換えた。この篠ノ井線は電車発着の時のメロディが各駅独特だった。途中、標高547mの姨捨駅・稲荷山駅を通り1813分長野駅に到着した。

長野駅では自由行動をとった。僕達はまず長野駅の近くのそば屋で信州そばを食べた。そして駅前商店街をぶらぶらしてお土産を買った。ライトアップされていた長野駅がとてもきれいだった。

1956分直江津行きに乗り2116分にそこへ着いた。この電車の車両は、あさまだったので降りるのがつらかった。

2127115系の長岡行きに乗ったのだがこの中で2つの事件が発生した。蜂が車内に入ってきたのと、ロングシート事件だ。後者の方でこれを起こした人の本性がよくわかった。2210分あたりになるとみんなすいている車内のロングシートを使い寝始めた。

2249分長岡に着くとすぐに前に止まっていた115系新潟行きに乗り換えた。車内はとてもすいていた。よく考えて見るとこの旅のほとんどを列車の前の方で乗っていると思う。

2345分新津へ着いた。ここがこの旅の折り返し地点の場所で、やっとここまで来れたという思いでいっぱいになった。

2359分ムーンライト越後を発車した。実はこの電車の指定席券をとるときにおこったすごいことがある。買った指定席券にLという文字が入っていたのだ。その時僕はLの意味が分からなかったので放っておいたのだが、Nが調べるとレディース席という意味だったのだ。買いに来た男の客にレディース席の券を発行した駅員が悪いのだがもし気付かなかったらどうなっていただろう。

車内では、お茶がこぼれたり、奇声が発せられたりしたが4時48分、赤羽駅を下車した。そして、4時53分京浜東北線の始発に乗りこんだ。車内でスノーボート゛をもったお兄さんに話しかけられて、これから軽井沢の方へ行くことをいうと、「???堂の??饅頭はスゲーうめーんだよ。」と教えてくれた。また????に似ている人が出ているTV番組も教えてもらった。

5時11分に上野駅につき、13分発115系宇都宮線高崎行きに乗り換えた。朝が早かったためか、みんな寝ていた。高崎でまた長野行きに乗り換え横川でEF63を連結して806分軽井沢についた。横川—軽井沢間は、最急こう配1000分の667JR屈指の鉄道の難所であり10月1日に開業する北陸新幹線東京〜長野間のために廃止される。そのためもあり、この時も数人の鉄道ファンが連結部分を撮っていた。

軽井沢駅ではオレンジカードを買ったり横川—軽井沢の切符を買ったりした後、また別れてお土産を見にいった。そしていろいろな写真を撮って1001115系長野行きにのった。車内では軽井沢で買った峠の釜飯をたべた。そして長野駅で1136分塩尻行きに乗り換え1256分塩尻についた。その時、僕は手に持っていた荷物が無くなっているのに気付いた。ところが今までにあまりにも多く電車にのってきたためどこで忘れたのか見当がつかなかった。とりあえず新宿忘れ物センターに電話したが電話代を損しただけだった。

1322165系中津川行きに乗り中津川で1540211系名古屋行きに乗った。そして1710分発、快速みえ7号にのった。横を近鉄が走っていてとても奥行きのある風景だった。1740分四日市で下車して、1757分亀山行きに乗った。車内はかなり込んでいたのを覚えている。

1824分亀山に着いたが1828分発の関西本線に乗り換える時ホームを間違えその電車にギリギリ間に合ったという形になった。この電車はディーゼルカーで、ずっと切り通しを走っていると思えるぐらい窓から緑が迫ってきた。たった2駅しか乗れないのか゛残念だったが柘植駅でおりた。

柘植駅では40分の待ち時間があった。駅に人はほとんどおらずとても寂しい駅にみえるのだが、階段に「いってらっしゃい」「おかえりなさい」とかかれていて温かい感じがした。また、柘植駅は台風が近づいていたので風がとてもきつく寒かった。

1931分、115系京都行きが来た。この電車がこの旅の最後の電車となる。よく見るいつもの電車に乗ることでだんだんと家に戻るという実感がわいてくると同時に疲れがどっとでてきて眠ってしまった。僕は京都まで行かず途中で降りてそこでこの長旅が無事に終了した。旅のほとんどを車内で過ごし、嫌というほど座っていたがこんな旅もわるくはなかった。

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