このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

旅行記
No.008
関西 方面    

題名

「急行たかやま 急行かすが乗り継ぎルポ」  

最終 急行たかやま 急行かすが乗り継ぎルポ

 1896年、新橋〜神戸間に日本初の急行列車が登場した。それ以来、急行は庶民の足として活躍してきたが、新幹線の誕生、特急列車の増発により、次第に急行は活躍の場を狭められていった。そして遂に1999年12月3日、急行が誕生した東海道本線から、昼行急行が姿を消す。その列車は、大阪と飛騨古川を1日1往復する急行「たかやま」号。4両編成と短いながらも、ヘッドマークをつけ、グリーン車と普通指定席車の両方を連結するJR唯一の昼行急行列車であった。そんな「たかやま」号と、同時に新型車両に置き換わる急行「かすが」号を惜しみ、私はそれぞれの最終列車に乗り込んだ・・・・・。

 16:30分。大勢のファンの見守る中、奈良駅4番線にキハ58系急行用気動車で運転される最後の急行「かすが」号が入線した。「さよならキハ58・65」とかかれたステッカーが張られていた。そして35分、列車はエンジンをうならせ、二度とくることのない奈良駅を後にした。
 「本日もJR西日本をご利用いただきまして有難うございます。この列車は急行かすが号、名古屋行きです。この列車の前より1号車は自由席車、後ろの2号車は指定席です。指定券、急行券が必要です・・・。」気動車独特のチャイムとともに、車内放送が流れ始めた。急行かすがの車掌は、亀山までがJR西日本、亀山から先はJR東海の担当である。車内は、60%くらいの乗車率で、ファンらしい姿もかなりあった。このかすが号、JR東海名古屋運輸区所属のキハ58・65型気動車で運転され、従来ボックスシートから簡易リクライニングシートの改造されている。それだけに、結構快適だ。列車は快調に飛ばし、平城山、木津と通過していく。もっとも、電車に比べれば遅いが・・・。このあたりはまだ日も出ていて、沿線にはファンの姿も見受けられる。木津を出たあたりで、検札があったのだが、急行券を持っていない人が結構いたのに驚いた。

 さて、加茂をでると非電化区間に入る。外はさすがに暗くなってきた。笠置では、普通列車を待たせて通過。このあたりは、左に木津川が流れ、黄昏時のその景色は格別であった。最後の走りを見せる車両たちは、この景色をどう見ているのだろうか・・・

 17:16。オルゴールがなり、伊賀上野に到着した。ここでは5,6人の客が入れ替わる。近鉄電車の姿もあった。ここからは田園地帯を走るのだが、もう真っ暗である。おばさんたちの話し声で、車内は急に明るくなった。その笑い声・・・それが、「急行列車の暖かさ」であろう。そうこうしているうちに、17:29、オルゴールがなり、柘植到着を告げた。

 柘植で急行かすが号を見送る。どんどん去っていくテールライトがやけに印象的であった。そして草津線に乗り、草津へ向かった。
 草津からは、急行たかやま号で大阪に行く予定である。駅員に到着ホームを尋ねると、「今日が最後ですね」と言っていたのが心に残った。大阪に行くのにわざわざ最後のたかやま号に乗る通勤客。最後のたかやま号を見ようとするおばさん。駅構内は、少したかやま号の話題に花が咲いていた。そんな時、明日からたかやま号に変わって登場する特急ワイドビューひだ号の回送列車が通っていった。

 19:30.2両増結して6両編成となっていた最終急行たかやま号が到着。いっせいにフラッシュがたかれる。そして31分、定刻に発車。いっせいにエンジンをうならせる。1号車は指定席車、2号車はグリーン車、3〜6号車は自由席車で、車内は50%くらいの乗車率だった。たかやま号に運用される車両は、JR西日本京都総合運転所所属のかすが号と同じキハ58系気動車。車内は、こちらも簡易リクライニン
グシートに改造されている。グリーン車は、キロ28型で、この形式を使用している列車は、そのとき既にたかやま号のみであった。

 登場から30年が経つこの気動車は、猛スピードで追い上げてくる新快速から逃れるため、常にフルスピードで飛ばしている。車内は比較的静かであり、エンジンのうなりが良く聞こえるので、その奮闘ぶりが良く分かる。ただ、カメラをぶら下げたファンがうろうろうろうろしていたのが癪だった。草津を出ると石山、大津、京都とこまめにとまっていく。どの駅でも、みなの注目を浴びていた。

 京都では、フラッシュの中を発車。ここから新大阪までの約30分、ノンストップで力走する。車内放送で、「さよなら急行たかやま号」オレンジカードの案内があった。当然、私も買い、「さよなら急行たかやま号」シリーズ(2枚発行されている)をそろえた。

たかやま号は、普通電車を追い抜きつつ、快調に飛ばす。向日町で休む車両たちをながめながら・・・。すれ違う新快速を見ながら・・・。そのとき、キハ58系の最高速度である時速95㎞が出ていた。「老いてなお盛ん」という言葉がまさに当てはまるであろう。そして速度を落とし、東淀川を通過する頃、新大阪到着を告げる放送が入った。

 新大阪では、わずかの停車時間の後発車した。終点大阪までの5分間、最後の走りを見せる。それを録音するため、MDをセットする人もいた。淀川を渡るジョイント音と、最後にみせるエンジン音に耳を傾けていたとき、急行たかやま号最後の車内放送が流れた。

「ご利用いただきまして、有難うございました。まもなく終点大阪でございます。2番線の到着、お出口左側です。神戸線、20:30分発、新快速・・・・(途中略)・・・・ご利用いただきまして、有難うございました。終点の大阪です。忘れ物のないようお支度ください。「急行たかやま号」、ご利用いただきまして有難うございました。最終運転となりました「たかやま号」ご利用いただきまして、有難うございました。明日はJRのダイヤ改正でございます。急行たかやま号に変わりまして、ワイドビューひだ23号高山行きが、明日からたかやま号に変わりまして運転いたします。このたかやま号に変わらず、ご乗車を
お願いいたします。ご利用いただきまして、有難うございました。終点、大阪でございます。」

 私が最も好きな列車のひとつだったこの急行「たかやま」号。そんなたかやま号も、もう二度と走ることはない。大阪到着。車内の写真を撮って外に出た。たかやま号の周りには、たくさんの人が集まってきた。みな、一斉にカメラを向ける。オレンジカードを売っている車掌さんも手にカメラを持っていた。みんな悲しそうだった。そして、たかやま号が回送のため発車した瞬間、誰からともなく拍手が起こった。

「ありがとう!急行たかやま〜!」「きっと復活しろよ〜!」

 そんな叫び声が夜の大阪駅にこだました。そしてたかやま号は噴煙を残して闇の中に消えていった・・・・。テールランプの赤い光が、私の目に焼きついた・・・。

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