このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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京阪電気鉄道電動制御視察車(事業用車両)

 京阪電鉄が、視察車として製造した車両は、名目は線内視察のための事業用車両ですが、実質には京阪神相互乗り入れのための事前工作のための接待車両でした。事業用車両としての名目で製造されたため、製造時は車番はありません。路面区間にも入線できるように車両限界の小さな車両で、61型と同様の連接車で、片側には、随員室と厨房を、もう一方には視察官室と厠、洗面所が設けられました。電気設備は61型と共通で、整備も61型に準じて行われました。この車両で、特設軌道を設置して神戸市、大阪市、京都市各市電に乗り入れ、神戸新開地、大阪曾根崎新地、京都祇園を結び、上は鉄道大臣、内務大臣、各次官、所轄局長、神戸、大阪、京都各知事の接待を行い、直通運転開設の下工作を実施しました。工作の甲斐あって、神戸、大阪、京都市電を介して姫路〜鞍馬、浜大津間、最終的には江若鉄道を買収改軌電化の後、国鉄北陸本線木之本まで伸延する関西圏一大インタアーバンネットワークが完成し、相互乗り入れ完成後は視察車の役目を終え、貴賓車1号となり、皇族方の専用車両として運用されました。走行中は常に随員室側が先頭になり、視察官室側にも制御機器はありますが通常はカバーがかぶせられ、改装時のみに使用されました。方向転換は各市電の交差点にある三角ポイントを利用して行いました。戦時中は京都市内に疎開していたため、戦災をまぬかれ、敗戦直後は進駐軍に接収され再び高級将校の接待車両となりました。接収解除後は、貸切専用車両としてしばらく運用されましたが、1編成だけで整備が難しいこと、定員が極端に少ないことと、続々登場する新鋭車両に比して性能が劣ることから、廃車となり、車体は静態保存されています。過剰な花街接待が当然と考えられていた時代の遺物で、あまりに派手な接待が悪評を呼び疑獄事件になり、当時の社長が逮捕される事態にまで発展しました。結果的には金銭の受け渡しがなかったため、微罪放免となりましたが、社内的には「接待車」と陰で呼ばれたあまり評判の芳しくない車両でした。

京阪視察車PDF図面 A4 1/120

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