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日本国有鉄道キハ60形3等気動車です。国鉄では戦前からDMH-17系列のディーゼル機関が気動車の主要機関でしたが、DMH-17系は元々戦前のGMH-17系ガソリン機関と同等の出力のディーゼル機関を開発しDMH-17として完成させましたが、戦時中の燃料事情の悪化により実用化されずに終戦を迎えました。戦後気動車をディーゼル化することとなり、戦前開発のDMH-17を実用化することととなり、1951年に実用化され、その後の気動車の主要機関として水平対向形のDMH-17Hまで改良が進みました。しかし最大出力は180PSと低出力で、一基では急勾配と反応力に欠けるため、新たに高性能の機関を開発することとなり、これまた戦前のキハ43000形電気式気動車用として試作したDHF-31Hを改良して水平シリンダのDMF-31HSAを開発し、キハ60形及びキロ60形に搭載し走行試験を開始しました。車体形状はキハ55形とほぼ同系のデザインで、正面貫通路貫通幌付きで、車体長20800mm、車体幅2800mmで乗降扉が外吊式となりました。車内はシートピッチ1800mmの固定クロスシートで、連結面側に便所洗面所が設置されています。DMF-31HSAは、出力400HSで、所期の性能を発揮したため、量産車が製造され、急行用として非電化幹線に投入され各線で活躍しました。キハ60形は床下機器に余裕があるところから、冷房用発電機を搭載し、ユニットクーラーを取り付け、冷房化が図られました。図面上段は冷房化後の姿、下段は登場時の姿です。
実車は、車体形状、寸法共にキハ55形とほぼ同様で、乗降扉は外吊式となっています。登場後すぐに等号改正により、2等車となりました。車内もキハ55形とほぼ同様の固定クロスシートで、キハ60形は2両、キロ60形は1両試作され、試験走行が行われましたが、機関の出力が計画通りの出力を発揮せず、また液体変速機も故障がちで、結局機関は使用を停止され、一時付随車として使用されていましたが、機関をDMH-17に換装の上、一般車両として使用され、乗降扉も外吊式から、通常の引戸に変更され、キハ55形と大差ない形状になり準急や普通車として使用されましたが、1978年には廃車となりました。
国鉄キハ60形PDF図面 A4 1/120
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