このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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鉄道省モハ52000形3等電動制御車です。関西地区の京阪神間電化に際しモハ42系が投入されましたが、隣接する阪神急行、新京阪が相次いで高速車両を投入、鉄道省もこれに対抗して、急行用として、新たにモハ52系を新製、投入しました。モハ52000形はモハ42系の流れを組む700mmの狭窓車でしたが、正面は非貫通の流線型で登場、車体は標準車体より少し長い車体長19400mm、車体幅は2805mmで、室内は扉間は戸袋部を除き、モハ42系より少し広めのシートピッチ900mmの転換クロスシート、車端部はシートピッチ1800mmの固定クロスシートです。運転室半室で、乗務員扉はありません。運転室の反対側は前向きのクロスシートで、前方展望が開けています。第2次車以降は側窓が1300mmの広幅窓になり、よりスマートな外観となりました。外観を重視し車体下部には全面にスカートが取り付けられています。モハ52+サハ48+サロハ66+モハ52の4両編成でほぼ固定化されて使用されました。流線型の形状は当時の他車に影響を及ぼし、多数の流線型車両が製造されました。第一次車はぶどう2号で従来車と同じ塗装で登場しましたが、第二次車ではベージュとぶどうの塗り分け塗装で登場し、さらにスマートさを強調しています。台車はスエーデンから輸入したころがり軸受をつけたTR25Aで、主電動機は出力を強化したMT30となっています。第三次車は電動車は現場からの要望により流線型から半流形のモハ53系に移行しました。同時に6両編成化することになり、各編成に増結用のモハ53形が製造されました。スマートさを誇ったスカートも現場では整備上の理由から不評で、戦争が激しくなってから、すべて撤去されました。戦時中には3扉化の系鶴もありましたが、実行されず、そのままの姿で終戦を迎えました。戦後の混乱が一段落して、急行運転復活に際し再度編成が復活し、モハ52+サハ+モハ53+モハ53+サロハ66+モハ52の編成で整備され京都−神戸間に投入されました。新製車の投入に伴い、順次阪和線に転じ阪和線の特急用として活躍しましたが、新製車に再び阪和線を追われ、行き先を検討の結果、2扉であることから、長距離区間である飯田線に投入され、飯田線で終焉を迎えました。実車は車体形状はほぼ同じですが、シートピッチが1400mmの固定クロスシートで狭く、側窓も第一次車が600mm、第二次車は1200mmとなっています。京阪神地区で活躍の後、阪和線に転じ、さらに飯田線で最後まで使用されました。現在第一次車、第二次車それぞれ1両づつ保存されています。図面は上段が第二次車、下段が第一次車です。

鉄道省モハ52000形 PDF図面 A4 1/120

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