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名岐鉄道デボ800形電動制御車

 名岐鉄道デボ800形電動制御車です。名岐デボ800形は、名岐鉄道が1935年に新製した特急形電車です。名岐鉄道は、1935年4月に押切町 - 新岐阜間の直通運転を開始させ、同時に特急電車の運転が開始されましたが、それに際して特急用車両として新製された本形式を使用しました。実際には同年8月には名岐鉄道と愛知電気鉄道の合併により名古屋鉄道が発足したため、同年4月に製造された本形式は名岐鉄道最後の新製車両です。合併後は形式称号は変わらず、車種記号のみ変更されモ800形と改称されました。本形式は18m級車体・150PS級主電動機(架線電圧1500V時)・電動カム軸式自動加速制御器・自動空気ブレーキなど、1950年代前半までに名鉄が新製した車両に共通する基本スペックを確立した車両です。本形式に始まるこれらの大型吊り掛け駆動車両は後に「AL車」と総称されることになりました。 デボ800形は日本車輌製造で新製され、大型車体で登場しました。名岐鉄道は、1935年4月に押切町 - 新岐阜間の直通運転を開始させ、同時に特急電車の運転が開始されましたが、それに際して特急用車両として新製された本形式を使用しました。実際には同年8月には名岐鉄道と愛知電気鉄道の合併により名古屋鉄道が発足したため、同年4月に製造された本形式は名岐鉄道最後の新製車両です。合併後は形式称号は変わらず、車種記号のみ変更されモ800形と改称されました。名岐鉄道が1935年に新製した特急形電車です。車体形状は車体長17500mm、車体幅2700mm、正面貫通路、貫通幌付きで、関急1形などと並び、日車特有の緩いRを描いた雨樋と車体全幅に渡って設置されたアンチクライマーがアクセントとなっている片運転台車で、乗降扉は、ステップ付き2扉車で、車内は車端部、扉間には戸袋部を除き、シートピッチ1700mmの固定クロスシートを8組装備し、内装も特急用としての風格が備わった良質の構造となっています。名岐鉄道は、1935年4月に押切町 - 新岐阜間の直通運転を開始させ、同時に特急電車の運転が開始されましたが、それに際して特急用車両として新製された本形式を使用しました。実際には同年8月には名岐鉄道と愛知電気鉄道の合併により名古屋鉄道が発足したため、同年4月に製造された本形式は名岐鉄道最後の新製車両です。合併後は形式称号は変わらず、車種記号のみ変更されモ800形と改称されました。その後1944年に連絡線建設工事が完成し、1948年には西部線の架線電圧が1500Vに昇圧されて東西直通運転が開始されるようになり、本形式も東部線区間へ入線するようになりました。しかし同時に運輸省規格形の3800系を始め、3800系、3950系が相次いで登場したため、特急運用の第一線からは後退する事となりましたが、晩年に至るまで本線系の優等運用をこなすこともありました。最晩年には、他のAL車に増結されてローカル運用(小牧線・広見線など)に回る機会が多くなりました。なお、本形式は全在籍期間を通じて両運転台車が存在したため、単行運転や奇数両の編成を組むのに重宝がられ、両運転台車の重連運用も多数存在しました。1935年8月の名古屋鉄道発足に伴いモ800形と改称された本形式は、翌1936年3月にモ806〜810が同一仕様で増備されました。1948年には西部線の1500V昇圧が行われ、本形式は全車昇圧対応工事が施工されましたが、本形式の電装品は元々1500V仕様であるため、比較的容易に改造できました。1970年代後半には全車車齢40年を超え、各部の老朽化が目立つようになったことから、1979年11月のモ808,832を皮切りに、1980年2月のモ832を最後にモ830形が全廃され、1988年3月のク2311,2314を最後にク2310形が形式消滅し、同時にモ800形の片運転台車も全廃されました。相次ぐ新型車の増備に伴って、1996年4月に行われたさよなら運転を最後に2両とも運用を離脱し、休車状態で残存したモ812も1997年5月にそれぞれ廃車となり、本系列は形式消滅しました。図面上段はモ830形、下段はモ800形です。
 実車は、名岐鉄道が1935年に新製した特急形電車です。名岐鉄道は、1935年4月に押切町 - 新岐阜間の直通運転を開始させ、同時に特急電車の運転が開始されましたが、それに際して特急用車両として新製された本形式を使用しました。車体形状は車体長17500mm、車体幅2700mm、正面貫通路、貫通幌付きで、関急1形などと並び、日車特有の緩いRを描いた雨樋と車体全幅に渡って設置されたアンチクライマーがアクセントとなっている片運転台車で、乗降扉は、ステップ付き2扉車で、車内は車端部、戸袋部を除き、シートピッチ1640mmの固定クロスシートを8組装備し、内装も特急用としての風格が備わった良質の構造となっています。実際には同年8月には名岐鉄道と愛知電気鉄道の合併により名古屋鉄道が発足したため、同年4月に製造された本形式は名岐鉄道最後の新製車両となりました。合併後は形式称号は変わらず、車種記号のみ変更されモ800形と改称されました。また同年、モ801は火災により車体を焼失し、原形通りの車体を新製して復旧された。モ807・808は1952年の一時期、850系の3連化に際して中間に組み込まれていましたが、短期間で同系が2連に戻されたため先頭車として復帰しています。1957年から1959年にかけて、8両について片運転台化改造が施工されました。最初に施工されたモ802は運転台機器撤去のみであったため、外観上の変化はあまりありませんでしたが、、他の7両については運転室を完全撤去して客室化し、窓配置旧運転台に窓を設置したため、モ830形と同様の形状になりました。その後1961年から修繕工事が開始され、老朽化した各部の補修の他、主電動機の更新および制御器の換装が行われ、更新された主電動機はTDK528/15KMと型番が変更となり、制御器は東洋製ES568型を搭載するようになった。モ801〜805はク2311〜2315と末尾番号が揃った2連を組み、モ806 〜808はク2650形と、モ830形はク2180形とそれぞれ編成を組んでいました。なお、両運転台車のまま存置されたモ809、810についてはこの2両で全電動車の2連に編成され、検査入場や事故被災等で電動車が不足した際には編成を解除して代役に充当するといった機動的な使用法がなされていました。こうして幾多の変遷を経て使用され続けた本系列ですが、1970年代後半には全車車齢40年を超え、各部の老朽化が目立つようになったことから、1979年11月のモ808,832を皮切りに、1980年2月のモ832を最後にモ830形が全廃され、1988年3月のク2311,2314を最後にク2310形が形式消滅し、同時にモ800形の片運転台車も全廃されました。一方、モ800形の両運転台車については年号が平成となった後も健在であったが、1989年8月には4両が一挙に廃車となり、以降は動態保存的に残されたモ811,812のみの陣容となりました。相次ぐ新型車の増備に伴って、1996年4月に行われたさよなら運転を最後に2両とも運用を離脱し、休車状態で残存したモ812も1997年5月にそれぞれ廃車となり、本系列は形式消滅しました。廃車されてから、モ811が豊川市の日本車輌製造豊川製作所において静態保存されています。また、1983年3月に廃車となったモ805-ク2313は、廃車直前に同編成が豊田線での試験計測運転に使用された縁を買われ、豊田市の鞍ヶ池公園に2両編成を組んだ状態で静態保存されている。こちらは現役当時の姿で保存されており、塗装もスカーレット一色塗りのままです。

名岐デボ800形PDF図面 A4 1/120

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