このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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鉄道省サハ48029形3等付随車

鉄道省モハ52系のサハ48029形3等付随車です。流線型モハ52系の中間付随車として製造されましたが、型式はモハ32系のサハ48形に編入されました。車体形状は車体長19200mm、車体幅2805mmの標準車体ですが、両端とも編成美を確保するため切妻となっています。形態はノーシル、ノーヘッダで、車体下部にはスカートが設置されています。第一次車はモハ52形と同じく側窓は700mmの狭窓が並び、車内は扉間が戸袋部を除き、シートピッチ900mmの転換クロスシート、車端部はシートピッチ1800mmの固定クロスシート、車端部の片側に便所が設置されています。第二次車はモハ52形と同じく、側窓が1300mmと大型化されました。登場後はモハ52形とともに京阪神間の急行電車として活躍し、好評を博しましたが、戦争の激化とともに急行運転が廃止され、現場からの要望により、スカートも撤去されました。戦時中戦後の混乱期に車体は荒廃したまま放置されていましたが、急行運転復活に際し再び整備され、戦前の姿に戻り、再び急行電車に投入されました。ただし、スカートは復活されませんでした。新製車の登場に伴い、モハ52形とともに阪和線に転じましたが、一部は東鉄局のモハ51形と交換に、モハ53形とともに北上、横須賀線で活躍しました。阪和線への新製車のと得乳に伴い、飯田線、身延線に転じ、最後まで活躍しました。一部の車両は運転台を取付け、クハ47形に編入されました。実車はモハ42系を張上屋根、ノーシル、ノーヘッダ化した形態で、室内はシートピッチ1400mmの狭い固定クロスシートが並び、第一次車の側窓は600mmの狭窓でしたが、第二次車以降は1200mmの広窓になりました。モハ52形とともに急行電車として活躍しましたが、戦争の激化に伴い急行運転が廃止され、一般車両として運用されました。戦後復興期に再び急行用に整備されましたが、モハ80系の投入に伴い阪和線に転じ、特急、快速用と使用されモハ70系の投入に伴い、阪和線も追われ、飯田線、身延線に転じ、終焉まで活躍しました。一部の車両はクハ化され、クハ47形に編入され便所の取付も行われました。阪和線に転籍しなかった車両は東鉄局のモハ51形と交換で、モハ43形とともに東上し、横須賀線でモハ70系とともに活躍しました。その後乗客の増加に伴い、全車3扉化され、サハ58形となり、横須賀線から、再度京阪神緩行用に転じた後に岡山地区宇野線電車化に伴い岡山ローカルに転じ終焉を迎えました。図面上段は第2次車、下段は第一次車の姿です。

鉄道省サハ48029形PDF図面 A4 1/120

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