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東武鉄道クハ10形付随制御車


 東武鉄道クハ10形3等付随制御車です。東武鉄道では、それまでは一般車で運用されていた日光方面への特急列車を、専用の新型車両で運用することとなり、1935年にデハ10形及びクハ10形が製造されました。車体形状は両車とも、一次車は車体長17500mm、二次型以降は車体長17800mm、車体幅2700mmで、正面貫通路、貫通幌付の両運転台車で、運転台は半室の片運転台、一方は客室、他方は半室の便所となっており、便所側の正面窓は埋め込みになっています。外観は車体裾の切り込みがあり、製造当時の鋼製車としては珍しくまだトラス棒が設置され、屋上のお椀形ベンチレーターと共に半流砲弾形ヘッドライトに比べて、新旧併せのんだデザインになっています。車内はシートピッチ1760mmの固定クロスシートを装備し、便所の無い側のシートは転換クロスシートで、前面展望が可能となっています。モハとクハは便所面が向き合うような編成になっているため、営業運転で窓無し正面が先頭に立つことはありません。台車は釣合梁式D-18となっています。本形式は特急運用に充当されていましたが、太平洋戦争の激化に伴い、1942年に特急列車の運転が中止されたため、全車ロングシート化された上で一般車として他車と混用されるようになりました。 戦後の大改番で、本形式はクハ400形に改番されました。日光方面への特急列車は、1948年に進駐軍専用列車として復活しました。当初は進駐軍関係者以外の乗車はできませんでしたが、その後一般客にも開放されるようになりました。特急用車両として使用されていた車両は性能改善の上、モハ5310形・クハ350形に形式変更され、特急用として使用されましたが、5700系登場に伴い、徐々に第一線から退き、まず1952年にモハ5313・5314およびクハ353・354の4両が東上線に転属し、青地に黄色帯へ塗装変更の上特急「フライング東上」号として使用されました。残る車両についても1953年までに有料急行用車両に格下げされ、特急運用から撤退しました。ただし、モハ5312-クハ352のみは予備車として特急用車両当時のままの仕様で残存していましたが、1953年に同編成により、宇都宮線有料急行を新設、宇都宮線に遅れること2ヵ月の同年10月、伊勢崎線にも有料急行列車が新設されました。この伊勢崎線急行は好評を博したため、1962年に東上線に転属していた4両を再転属させ、さらに1966年には一旦格下げされていたモハ5310-クハ350を再整備・格上げして順次増発され、モハ1700系の登場により特急用車両から格下げされて同列車に充当されていた5700系とともに有料急行主力として活躍を続けることになりました。急行用モハ1800形の投入に伴い、一般車に格下げされたモハ5310形の一部は老朽化した荷物電車に充当するため、半室手荷物車化され、モハニ5460形となりましたが、手荷物扱いの終了に伴い、救援車に改造されました。その他の車両も老朽化に伴い、1974年までに廃止されました。図面は上段は、後期形のクハ10形、下段は登場時のクハ10形です。
 実車は 1935年にクハ10形が製造され、続いて同系のクハ11形、クハ12形が製造されました。ました。車体形状は車体長17800mm、車体幅2690mmで、正面貫通路、貫通幌付の両運転台車で、運転台は半室の片運転台、一方は客室、他方は半室の便所となっています。外観は車体裾の切り込みがあり、その当時の新造鋼製車としては珍しくまだトラス棒が設置され、屋上のお椀形ベンチレーターと共に、近代的な車体に比べて新旧併せのんだデザインになっています。車内は戸袋間はシートピッチ1760mmの固定クロスシートを装備し、車端部はロングシートとなっています。走行機器は全面的に国産の機器が採用され、制御器は電動カム軸式、主電動機は出力は110Kwの釣掛式で、日本車輌の釣合梁式D-18となっています。本形式は日光特急運用に充当されていましたが、太平洋戦争の激化に伴い、1942年に特急列車の運転が中止されたため、全車ロングシート化された上で一般車として他車と混用されるようになりました。 戦後の大改番で、本形式はクハ400形に改番されました。日光方面への特急列車は、1948年に進駐軍専用列車として復活しました。当初は進駐軍関係者以外の乗車はできませんでしたが、その後一般客にも開放されるようになりました。特急用車両として使用されていたモハ5440形、クハ400形は性能改善の上、モハ5310形・クハ350形に形式変更され、その後も特急用として使用されましたが、5700系登場に伴い、徐々に第一線から退き、まず1952年にモハ5313・5314およびクハ353・354の4両が東上線に転属し、青地に黄色帯へ塗装変更の上特急「フライング東上」号として使用されました。残る車両についても1953年までに有料急行用車両に格下げされ、特急運用から撤退しました。ただし、モハ5312-クハ352のみは予備車として特急用車両当時のままの仕様で残存していましたが、1953年に同編成を使用して宇都宮線有料急行を新設、当時の伊勢崎線には急行料金設定が無かったため、これを新規制定した上で宇都宮線に遅れること2ヵ月の同年10月、伊勢崎線にも有料急行列車が新設されました。この伊勢崎線急行は好評を博したため、1962年に東上線に転属していた4両を再転属させ、さらに1966年には一旦格下げされていたモハ5310-クハ350を再整備・格上げして順次増発され、特急用車両から格下げされて同列車に充当されていた5700系とともに主力として活躍を続けることになりました。一般車に格下げされ4両固定、乗降扉増設し3扉化されました。戦前の車両でさすがに老朽化が目立って来た、1970年から、電装品を流用し、3扉両開きの車体長17500mm車体新製のモハ3000系、モハ3050形に改造され、ローカル線の体質改善に投入されました。しかし、走行機器が旧型流用のうえ、冷房化も行われなかったため、1997年に旧形改造のモハ3000系は全車廃車され、消滅しました。

東武クハ10形PDF図面 A4 1/120


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