このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
娘が行った屋久島、種子島(3)
屋久島での三日目——旅の目的の縄文杉へ
今日は、屋久島の最終日。安房まで行き、荒川登山口、縄文杉登山コース入り口までバスで行きます。
ここからは、案内人付の登山となります。今回は、娘たち二人と別の二人の4人に案内人の5人のパーティーだったとのこと。
登山道(屋久島観光協会)
縄文杉までは、荒川登山口(標高600m位)から縄文杉(標高1300m位)まで片道4時間位の道のりです。
(以下の写真は、下りで撮ったのもありますが、上っていく順番に整理しました)
大正時代に屋久杉の伐採用に設置されたトロッコの軌道を歩き登っていきます。昭和44年に伐採がやめられ、
途中にあった小杉谷の集落もなくなり、小中学校の跡は、休憩所となっています。
トロッコは、その後も物資の運搬やダム資材の運搬で一部は使われてきており、今日でも、月に何回かは動かしているようです。
しかし、荒川口から、2kmほど登った所で、今年のはじめトロッコ道が岩石の崩落で閉鎖され、
その部分は迂回路ができてそちらを登ります。
トロッコ道を進む
トンネルを抜けて 満開のつつじ
だんだんと山中へ 崩落箇所から迂回 崩落時(観光協会)
そこから少し上ると小杉谷集落跡で、その先のトロッコ道を進み、山道の分岐点(楠川分れ)を過ぎると、三代杉があります。
小中学校跡と記念碑
この辺で一休み
三代杉
ここから沢に沿って上り、大杉歩道に入ると本格的な山道で、だんだんと大きな杉が現れます。
大株歩道へ
翁杉、切り株のウイルソン株、大王杉、夫婦杉などを過ぎ、最終目的の縄文杉に到着です。
翁杉
ウイルソン株
1586年(天正14年)牧村の五郎七が足場を組み、豊臣秀吉の命令により
大坂城築城(京都の方広寺建立とも) の為に切られたといわれる。
胸高周囲13.8m。1914年に名前の由来となる、アメリカの植物学者
ウィルソン博士により調査される。
株の中には、清水が湧き出ている。また祠がある。 (十畳ほどの広さ)
また切られた幹は、結局運び出すことが出来ず、下の沢に放置され今でも
残っているとされる。
(観光協会)
立派な階段
大王杉 夫婦杉
樹齢7000年以上とも言われる縄文杉
大杉歩道の手前までは、沢沿いの道で、水場などもあり、休めるようです。
沢の水場へ
澄んだ水(水中カメラで)
しかし、小生がたとえ元気でもここまで行くのは無理でしょう。 そして、この日は、宿に帰って明日に備えたようです。
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