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1999/11/7作成 ちょっと古いですが、弘南鉄道へ行った元東急3000系(元番号は東急時代と(ほとんど)同じです)の写真を紹介しましょう。1989年の末、東急から6000系と7000系がやってくるまで、17m級旧型電車の天下でした。2003/11/28訂補 |
![]() ちなみに、手前のクハ3674は、『東急の電車たち』という本に、昭和55年長津田で写されたときのものが載っています。中間に入っている車両は、私はよく知らないのですがなにやら関西から来た有名な車両らしいです。 |
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![]() 写真手前に写っている車両は元国鉄クハ16。直接国鉄から来たようです。その後ろやホームの反対に止まっているものは元東急の3670系。このようにこまかな運用を昔はしていました。 ちなみに、寒さ対策のためか、モハは前面の貫通扉を埋めているのがほとんどだったようですが、クハはこの連結・解放があるため ああ、やっぱりいい時代だったんだなぁ。 |
![]() 日本海側の豪雪地帯を走る路線らしく、ホームの屋根も一工夫されてますね。 クハの切り離しは基本的にこの黒石でした。ラッシュが終わると、どの編成もここ黒石で切り離し作業。日中は2両で走り、夕方、また連結して3両で走ります。 上の写真のデハ3614も、元東急車。旧番号のまま走っていました。貫通路は使用しないため、埋めてありますね。 ![]() 右はモハの室内。モケットの色などは東急時代のままでした。つり革、ほんとに革製だったんですよね。網棚もヒモを編んであるものだったし、床は木のままでした。 |
![]() 2両編成時のクハには幌受けが付いていて、ちょっといかつい感じの旧国らしさが好きです。 |
![]() その後ろに連結されているのは、たぶん国鉄のお下がりであろうラッセル車、雪が多い地域だけに、出番も多そうです。 |
![]() 元の国鉄黒石駅は、弘南黒石駅と離れていたのに、弘南が引き継ぐと同時に、わずかながらも線路を引き直して同じ駅構内に入れるようにしました。 その後1994年に小坂鉄道で旅客廃止となった2100系を翌年1995年に2両購入、車歴が古かったキハ22の2両は廃車となってしまいました。 そんな気合いの入れようだったにもかかわらず、赤字が続いたため1998年3月で廃止となってしまいました。 |
![]() 黒石線は大正1年8月15日開業と大変古い路線。6.6kmに中間駅ひとつという短い路線でした。買収側の弘南鉄道は昭和2年9月営業開始、黒石には終戦後の昭和25年7月に達したので、対弘前を考えるとちょっとしたライバルだったのかもしれないですね。 黒石は西十和田温泉郷の玄関口なので、温泉客を運ぶつもりで赤字を引きずりながら運行していたのかもしれない。国鉄時代は貨物列車もあったとのこと。旅客列車も1日14往復と、超は付かない程度のローカル線だったようです。 弘南鉄道になってから初めて訪れたのですが、通勤通学客以外はあまり利用客がいないようでした。乗った時は2両編成で動いてましたが、ガラガラだったなぁ……。 |
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