このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
宮本武蔵のふるさと(その2) ![]() | ||
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武蔵の生家宮本武蔵の生家だそうです。昭和17年の火災で茅葺の屋根が瓦に変わったそうですが、大黒柱の位置は昔のままだそうです。まあ、中に入れないので、確認していませんが、多分そうなのだと思います。 ここには、色々と武蔵の事績を示す石碑が並べられています。やはり武蔵はたいしたことを成し遂げたのかもしれませんね。しかし、剣豪として名を残したこと以外は、なにもないように思うのですが、日本人の精神に残したものは大きかったのだと感じておりますが、これもほとんどは、難解な五輪書などの文献に基づき大衆小説としてストセラー小説に仕上げた吉川英治の功績なのかもしれませんね。そのせいか、吉川英治謝恩碑というものがありました。 | ||
![]() 宮本武蔵の生家 | ||
![]() 宮本武蔵の生家である事を記しています | ![]() 剣聖宮本武蔵累伝の碑 | |
![]() 生家の前の石碑群 左端の石碑は吉川英治謝恩の石碑 真ん中はなにか俳句のようなものが記されていました。右端は宮本武蔵の研究をしていた郷土史家の人への謝恩の石碑です。 | ||
武蔵ゆかりの神社近辺には、武蔵ゆかりの神社があります。讃甘神社は、この神社の神主さんの太鼓のバチさばきにヒントを得て武蔵は二天一流(二刀流)を編み出したといわれています。また、剣聖宮本武蔵を祀る神社として、昭和46年に建立されたものです。 そして、武蔵神社の横には、熊本から分骨された武蔵の骨が祀られた武蔵の墓があります。 | ||
![]() 讃甘(さのも)神社 | ||
![]() 名前もすばり「武蔵神社」 | ||
![]() 宮本武蔵の墓、父と母の墓も並んでいます |
鎌坂峠へ全国に武者修行に旅立った武蔵の最初のスタートは、関が原合戦であるそうだ、この村から出るためには、鎌坂峠というところを通り、隣の兵庫県の方に抜けるむかしの因幡街道を利用したようです。 その道をたどってみました。 | |
![]() 平尾家 武蔵の姉が嫁いだ先、武蔵が出立する時に、この姉夫婦の家に系図などを伝えたらしいです。 | ![]() 鎌坂峠へ通じる道の入り口にある鳥居 現在、峠道は車では通行できないようです。 |
![]() 一貫清水の石碑 | ![]() 湧き出る一貫清水の泉 年中冷たい水が湧き、この泉で喉を潤した旅人に「ほんに一貫文分の値打ちがある」と言わしめた泉です。 |
![]() 鎌坂峠へ登る道 今の道では、細い道であるが往時の主要街道であった因幡街道としては立派なものだったと思われます。 | ![]() 一貫清水のあたりから見る大原の町 |
![]() ところどころにこのような案内板があります。 | ![]() 本位田外記之助の墓 本位田外記之助というのは、武蔵の父無二斎に殺害された人だそうです。 |
武蔵の里さて、宮本武蔵中心のこの町では、「武蔵の里」という観光施設があります。ここには、「武蔵道場」という剣道場や庭園、武蔵資料館と宿泊施設を兼ねる「五輪坊」、そして温泉リゾート施設の「クアガーデン武蔵の里」というものが揃っています。 | |
![]() 武蔵道場の石碑 | ![]() 二刀流を今に伝える武蔵道場 |
![]() 武蔵の里にある庭園 和風でなかなか風情のある庭園です。 | |
![]() 五輪坊の石版 | ![]() クアハウス武蔵の里 |
奇妙な建物発見さて、このような奇妙な建物を見かけました。今回一番の発見でした。 | |
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宮本武蔵顕彰 武蔵武道館というのが正式名称で平成12年に完成したそうです。平成17年に岡山県で開催される剣道の会場となるようです。 キャッチコピーは、「現代に蘇る剣聖武蔵の魂。若き雄叫びが聞こえる」というところでしょうか。こんな建物を建てるセンスってなかなかなもんですね。 | ![]() |
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