このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
![]() 西大寺観音院山門 | |
岡山市の西端にある西大寺に参拝しました。 このお寺の由緒はおおよそ次のようなものです。 ![]() 今から約1200年昔、天平勝宝3年(751)周防の国(山口県)玖珂庄に住む藤原皆足(ふじわらのみなたる)姫が観音菩薩の妙縁を感じて金岡の郷に草案を開基し、千手観音を安置したのが創まりであった。 その後、宝亀8年(777)、安隆上人が大和の長谷寺で修行三昧されていたとき”備前金岡庄の観音堂を修築せよ”と夢にお告げがあり、上人は直ちに西国に下向し藤原皆足姫の擁護のもとに海路を船で急ぎ金岡の庄に向かう途中、児島の槌戸ノ浦にさしかかった時、犀角を持った仙人(龍神)が現れて『この角を持って観音大師影向の聖地に御堂を移し給え』と霊告された。 こうした多々の奇縁に感涙した上人は犀角を鎮めた聖地に堂宇を建立し、法地開山されたのが起源で、このとき寺号を犀戴寺と称したが、後年には後鳥羽上皇の祈願文から賜り西大寺(単なる誤字なのか)と改称した。 ![]() そんなわけで、このお寺で売っているのは、張子の犀(サイ)のようです。 | |
![]() 張子の犀 | ![]() 会陽(はだか祭り) |
このお寺が有名なのは、会陽(えよう)というお祭りですが、裸祭りと言う名前で知られています。毎年、2月の第3土曜日に開催されているそうなので、是非観てみたいものだと思いました(でも、人で混雑しているだろうな)。 右上の写真は、その時の様子の絵だそうで本堂の天井に飾れていました。 | |
![]() 境内はそれほど広いわけではありません |
ちなみに、中国観音霊場第一番という観音信仰の拠点となっているわけですが、四国八十八ヶ所の様にはみんなに知られていないようですね。やはり、歴史が浅いということでもあるのでしょうか。 ちなみに、右の写真は、普陀南海観音と呼ばれる観音像で、普陀山とは中国上海にある小島で仏教のメッカということです。 ![]() | ![]() |
![]() 境内には金刀比羅さんもあります |
なんと境内には金刀比羅大権現の社もありました。実は、これは、明治時代の廃仏毀釈のあおりで、本家の讃岐の神仏習合であった金刀比羅宮が神社となっため、その時本地仏である不動明王と毘沙門天がこのお寺に移されたということらしいです。 やはり、それだけ勢いのあったお寺という事なのでしょう。それは、お寺の側を流れる吉井川の河口が備前の要港として栄えていたことも、庶民信仰の大きな支えとなったということでしょうか。 |
![]() 西大寺の側を流れる吉井川の流れ |
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