このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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![]() 御神幸による交通規制を知らせる立看板 | ![]() 御神幸を知らせる幟 |
御神幸について御神幸とは、120年前に宗忠神社が、現在の岡山市下中野に移転したことを記念して、神社から岡山市後楽園までの往復12キロを行列するという行事です。今回で54回目ということですから、中断していた時期もあったということですね。たいていの、神社には、こういう神様がお出掛けするという行事が企画されて「祭り」として定着していますね。 このお祭りは、神社の行事としてのみではなく、「岡山さくらカーニバル」の行事の一環として位置づけられているようです。 | |
![]() 先頭は先導車 | ![]() 高校生のバトントアリングも参加 |
![]() 先頭のプラカード | |
![]() 白装束、でもパナウェーブではなさそう。 | ![]() 侍装束の鼓笛隊 |
ちょっとね午前8時に宗忠神社を出発した御一行様は、駅前をパレードして、午前11時ごろに後楽園に着いて、なにか神事をして、12時40分に後楽園を出発して神社への戻ります。しかし、MoMo太郎は唐津に住んでいたこともあって、「唐津くんち」という、こういう神様が遠足していくお祭りを知っていますが、・・・、なんかこの御神幸は、回転寿司みたいなかんじです。 どうして、そう感じたのか考えてみると、「唐津くんち」の場合は、町に住む人が、「くんち」と呼ばれる山車(だし)を自分達で作って、祭りに参加しているというところですが、御神幸は、余り町の人が参加しているというところが余り感じられず、ここに参加されている人は、黒住教団の信徒の方という風情でした。 そういう意味で、メーデーに動員された組合員といったところで、楽しいのかなという感じでしたが。 | |
![]() 本当の神職は人力車で移動 白装束は信者が動員されているのでしょうか | |
黒住教団の皆さんバトントアリングのチームとか、ブラスバンドの人は、就実高校や岡山東商の高校生が動員されているようで、熱心にやっていたようですが、その他の沢山の白装束の神職の人がいたり、鼓笛隊やら神輿を担いでいる人が参加していますが、こちらは信者の皆さんのようですね。それ以外にも、色々信者のみなさんに、役割が与えられ、ゴミ拾いなど、やっておられました。大変ですね。 | |
![]() このお坊ちゃまは誰? 後ろには「神童」書いてありましたが | |
![]() 巫女さん装束も登場、後ろの神輿の担ぎ手は適宜交代していました。 | |
![]() 白馬の馬車も登場。馬車には神主さんが乗りこんでいました。 | |
![]() 祭りを賑やかにする踊りですが、途中で人が減っていました。 | ![]() 子供神輿も登場 |
![]() 表町のアケード街を通りますが、カッコイイですね。 | |
![]() ブラスバンドの皆さんもカッコイイ。でもトロンボーンのピストンが前の人に当たらないかと心配でした。 | |
![]() 一般道も練り歩きます。 | ![]() 手に持つ桶はおさい銭入れ、おさい銭を入れると御札がもらえます。 |
![]() 信者の人の協力 幟が枝にかからないように棒で持ち上げてます。 | ![]() 信者の人の協力 神職さんが乗る馬車を後ろから押していました。 |
![]() 信者の人の協力 御神幸の行列が通り過ぎた後のゴミ拾いをしています。 | |
宗教の力の源を考える しかし、こういう風に全国から信者のみなさんを動員できる組織力を、どうして宗教団体は持っているのですね。どのようにして、こんな組織力を持ったのでしょうか? 普通、国家組織といっても、突き詰めれば、軍事力とか警察力とかという暴力にその基盤を持ちますが、通常、宗教団体は、暴力集団とは思えませんが、どうして、組織を維持できるのでしょうか? このあたりに、宗教の持ついやらしさがあるように思いますけど、まあ、力の根源とは、信心しなかったから不幸になったとかな。そんなところでしょうか。 オウムが暴力集団だったのは、信仰しても幸福にもならなかったし、信仰しなくても不幸にならなかったからですかね。 それにしても、こういう組織を維持するのだから、中国共産党の毛沢東とか周恩来みたいな、理論家と実務家がどの教団にも揃っていたということですかね。 ローマ法皇死去のニュースを聞きながら、そんなことを思いました。 |
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