このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 神社・仏閣参拝記(14) 
        
御神幸(続・宗忠神社)

岡山市後楽園
 桜がようやく蕾からちらほら咲きになる2005年4月3日、 宗忠神社の御神幸が厳かに取り行われました。その様子 を御紹介します。

御神幸による交通規制を知らせる立看板

御神幸を知らせる幟

御神幸について

 御神幸とは、120年前に宗忠神社が、現在の岡山市下中野に移転したことを記念して、神社から岡山市後楽園までの往復12キロを行列するという行事です。今回で54回目ということですから、中断していた時期もあったということですね。

 たいていの、神社には、こういう神様がお出掛けするという行事が企画されて「祭り」として定着していますね。

 このお祭りは、神社の行事としてのみではなく、「岡山さくらカーニバル」の行事の一環として位置づけられているようです。


先頭は先導車

高校生のバトントアリングも参加

先頭のプラカード

白装束、でもパナウェーブではなさそう。

侍装束の鼓笛隊

ちょっとね

 午前8時に宗忠神社を出発した御一行様は、駅前をパレードして、午前11時ごろに後楽園に着いて、なにか神事をして、12時40分に後楽園を出発して神社への戻ります。

 しかし、MoMo太郎は唐津に住んでいたこともあって、「唐津くんち」という、こういう神様が遠足していくお祭りを知っていますが、・・・、なんかこの御神幸は、回転寿司みたいなかんじです。   

 どうして、そう感じたのか考えてみると、「唐津くんち」の場合は、町に住む人が、「くんち」と呼ばれる山車(だし)を自分達で作って、祭りに参加しているというところですが、御神幸は、余り町の人が参加しているというところが余り感じられず、ここに参加されている人は、黒住教団の信徒の方という風情でした。

 そういう意味で、メーデーに動員された組合員といったところで、楽しいのかなという感じでしたが。


本当の神職は人力車で移動 白装束は信者が動員されているのでしょうか 

黒住教団の皆さん

  バトントアリングのチームとか、ブラスバンドの人は、就実高校や岡山東商の高校生が動員されているようで、熱心にやっていたようですが、その他の沢山の白装束の神職の人がいたり、鼓笛隊やら神輿を担いでいる人が参加していますが、こちらは信者の皆さんのようですね。

 それ以外にも、色々信者のみなさんに、役割が与えられ、ゴミ拾いなど、やっておられました。大変ですね。

このお坊ちゃまは誰? 後ろには「神童」書いてありましたが

巫女さん装束も登場、後ろの神輿の担ぎ手は適宜交代していました。

白馬の馬車も登場。馬車には神主さんが乗りこんでいました。

祭りを賑やかにする踊りですが、途中で人が減っていました。

子供神輿も登場

表町のアケード街を通りますが、カッコイイですね。

ブラスバンドの皆さんもカッコイイ。でもトロンボーンのピストンが前の人に当たらないかと心配でした。

一般道も練り歩きます。

手に持つ桶はおさい銭入れ、おさい銭を入れると御札がもらえます。

信者の人の協力
幟が枝にかからないように棒で持ち上げてます。

信者の人の協力
神職さんが乗る馬車を後ろから押していました。

信者の人の協力
御神幸の行列が通り過ぎた後のゴミ拾いをしています。
宗教の力の源を考える

 しかし、こういう風に全国から信者のみなさんを動員できる組織力を、どうして宗教団体は持っているのですね。どのようにして、こんな組織力を持ったのでしょうか?
 普通、国家組織といっても、突き詰めれば、軍事力とか警察力とかという暴力にその基盤を持ちますが、通常、宗教団体は、暴力集団とは思えませんが、どうして、組織を維持できるのでしょうか?

 このあたりに、宗教の持ついやらしさがあるように思いますけど、まあ、力の根源とは、信心しなかったから不幸になったとかな。そんなところでしょうか。
 オウムが暴力集団だったのは、信仰しても幸福にもならなかったし、信仰しなくても不幸にならなかったからですかね。

 それにしても、こういう組織を維持するのだから、中国共産党の毛沢東とか周恩来みたいな、理論家と実務家がどの教団にも揃っていたということですかね。
 
 ローマ法皇死去のニュースを聞きながら、そんなことを思いました。
   

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