このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
生石(おうしこ)神社 生石と書いて「おうしこ」と読むらしい。この神社は、写真の「石乃宝殿」と呼ばれる巨岩で有名です。大きさは高さ5.7メートル、横幅6.4メートル、奥行7.2メートル、推定重量500トンの石造物ですが、これが池の中に浮いているそうです。 この石乃宝殿は日本三奇と呼ばれるもので、他の二つとは宮城県塩釜市にある塩釜神社にある「塩釜」、そして、宮城県高原町にある霧島神社にある「天の逆鉾」ということらしいです。 他の二つのうち、見たことのある塩釜神社の塩釜は、普通の金属製の釜にしか見えなかったんですが、この石乃宝殿はなかなかのものだと思いました。 | |
![]() 石乃宝殿 | |
![]() この巨石が浮いているらしい? | |
![]() 石の下部は池となっています。 | ![]() 石の蛙なんかも置いてありました |
石乃宝殿の由来さて、何気に石乃宝殿と呼んでいますが、本当は、「鎮の石室」とのいうらしいです。なぜ鎮の石室かというと、以下のいわれがあるようです。 神代の昔大穴牟遅(おおあなむち)少毘古那(すくなひこな)の二神が天津神の命を受け国土経営のため出雲の国より此の地に座し給ひし時 二神相謀り国土を鎮めるに相應しい石の宮殿を造営せんとして一夜の内に工事を進めらるるも、工事半ばなる時阿賀の神一行の反乱を受け、そのため二神は山を下り数多神々を集め(当時の神詰現在の米田町神爪)この賊神を鎮圧して平常に還ったのであるが、夜明けとなり此の宮殿を正面に起こすことが出来なかったのである、時に二神宣はく、たとえ此の社が未完成なりとも二神の霊はこの石に寵もり永劫に国土を鎮めんと言明せられたのである以来此の宮殿を石乃寶殿、鎮の石室と構して居る所以である。 | |
![]() 石乃宝殿の入り口です。 | ![]() 拝観料はちゃんと払いました。 |
播州の鎮めのとしては石乃宝殿の由来は由来として、この神社の背後の山に登ると播州東部が一望できることから、なんらかの宗教的或いは政治的な目的をもってこういう石造物を作ったのかなと想像は難しくないと思います。まあ、神話と言えども、真実はどうあれ、日本をどのように統治していったかの記録でしょうから、神社のパンフレットにある記述では、播磨風土記(713年)には、「形、屋の如し、長さ二丈。広さ一丈五尺たかさもかくの如し。伝えていへらく、弓削大連(物部守屋)の造れる石なり」と記述されているそうです。 さて、生石神社の創建は 人皇十代崇神天皇の御代(西暦九七年)日木全土に悪疫が流行して人民死滅の境にある時、ある夜二神が天皇の夢枕に現れ「吾が霊を斎き祭らば天下は泰平なるべし」とのお告げがあり依りて此所に生石神社が創建せられたのである。以来忽ら悪疫も終息して天下泰平となる。 とありました。考えてみれば、昔も今も天皇の仕事は、民の安らかんことを希求することだったんですかね。 そんなことで、この神社の御利益は無病息災、病気平癒の神様ということのようです。 | |
![]() 石乃宝殿の背後の山からは東播エリアが一望できます。 | |
![]() 付近にはこのような石切り場が多くありました。きっと古代より石材の産地として有名だったのでしょうね。 | |
![]() 石乃宝殿はこの建物に囲まれ ています。 | ![]() 生石神社の鳥居 |
![]() 石乃宝殿西面(背後)にある突起 | ![]() 石乃宝殿の姿 |
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