このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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※遺跡位置は 「守山区遺跡分布図」 の頁に有ります。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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守山区上志段味地区は庄内川河口より35km程遡った愛知県瀬戸市と接する守山区最北東部です。 写真は名古屋市最高峰、標高198.29m東谷山(中腹の建物は愛知県立大学守山キャンパス・旧愛知県立看護大学)。好天の日には展望台から名古屋市そして平坦な濃尾平野が一望でき、野生ニホンリスが生息し近年国の特別天然記念物ニホンカモシカの生息も確認されている。 平成5(1992)年、上志段味特定土地区画整理組合が設立され、新しい道、新しい家など田舎的景観は街に変貌しつつあり、名古屋市は志段味地区開発の動脈とし新交通システム、 ガイドウェイバス「ゆとりーとライン 」を開通させ研究学園ヒューマンサイエンスタウン構想を立ち上げたが、同構想はその後の経済活動停滞など有り大幅に縮小されたが一部活動が始まっている。 東谷山山頂にある尾張戸(おわりべ)神社(祭神−天火明命・天香語山命・建稲種命)は古文書、東谷大明神草創本紀によれば成務天皇5年秋9月、尾張連宮簀姫命の勧請により創建されたとあり、延喜式神名帳には尾張国山田郡尾張戸神社と記されている。また和名抄には「山田郡志誤」、尾州雑志には「志田見郷」とあり、尾張神明帳集説本之訂考(嘉永3(1184)年)には志談(シダミ)は「下垂水(しだみ)にて尾張山水の垂(したたる)るより地名となれり」と記され、研究者によれば尾張(ヲハリ)国地名発祥の地、そして尾張氏発祥の地の一つではないかと言う。 古墳時代に入りますと上志段味地区には多くの古墳、古墳群が造られ白鳥塚古墳始め大久手古墳群、白鳥古墳群、勝手塚古墳、羽根古墳、上島古墳、寺山古墳、後期には馬捨山古墳、塚本古墳等その外多くの古墳が造られ、そして時代が下り東谷山西麓群集群が築造された。又それに先立つ遺跡としては志段味樹木地区に旧石器時代末の樹木遺跡がある。 現在国内の古墳の数は、平成13年3月末、文化庁調べで161,560基有る(一般には10万基〜20万基位と言われる。弥生時代の墓は「墳丘墓」、奈良時代の墓は「墳墓」と呼び区別される)。愛知県下には尾張部56基、三河部45基の前方後円(方)墳が有り(平成7年時)、50m以下の小古墳が主流の三河部に比べ、尾張氏の本貫地尾張部では50m以上の古墳が多くある。 名古屋市内には201基の古墳があり区内には134基とその半数以上があり、市内の前方後円墳は18基、うち区内には11基、上志段味地区に6基が有る。また同地内には66基の古墳があり、上志段味東谷山西麓群集群には34基の古墳が認められるが多くが消滅し全体では50基以上有ったと思われる。 また上志段味地区には古墳時代前期4世紀初めから5世紀前半に一部空白が有るものの古墳時代終末期に至るほぼ全ての時代の古墳、古墳群があり全国的にもまれな地区として注目されている。
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