| このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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●守山・小幡地区の古墳 ※遺跡位置は
「守山区遺跡分布図」
の頁に有ります。 |
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●守山白山古墳 守山台地の最西端。後の時代に造られた
守山城址
東180m程。主軸をやや西に振った南北に持ち、後円部に守山白山神社の社殿がある全長約98m、後円部の径約50m、高さ約6.5m、前方部の長さ約45m、高さ約2.5m、先端部幅約35m、くびれ部幅約28m(標高25mライン)。左右のくびれ部に造り出しの痕跡が認められる前方部の低い、古墳時代前期(4世紀半ば〜4世紀後半)の築造と考えられる大型前方後円墳。周濠はなく埋葬施設など不明、墳丘斜面にて川原石の葺き石、若干の埴輪片など採取。近年拝殿改築のため部分的にトレンチ(試掘溝)による発掘が行われ、それによれば墳体全体に後世手が加えられ形状的に曖昧な所もあり、出土物としては中世陶磁器片などを発掘したに留まった。 同古墳は区内上志段味白鳥塚古墳(115m)同様4世紀後半古墳時代前期の築造と思われるが、その後の改変を考えれば区内最古最大の可能性もある。 当時は南に矢田川、北に庄内川を望む台地先端、眼下に平野部を見下ろす絶好の地にありこの地を治めた首長の墓にふさわしいもの。また以前は周辺に円墳らしき高まり、周濠を持つ塚など有ったと言われているが現存しない。 また同古墳より東へ650m程にある廿軒家神明社遺物包含地(廿軒家神明社一帯)では鉄斧、鉄鉾、鉄鏃が出土。戦前には境内西にマウント状の高まりがあり(現在は均されている)、これらの出土物は古墳の副葬品と考えられ、5世紀前半から中頃築造の古墳があったと思われるが既に破壊され確認する事はできない。(遺物散布地の可能性も捨てられない。) |
![]() 写真左 赤丸−守山城址 青丸−現 宝勝寺 黄丸−守山白山古墳 左下−矢田川 昭和21(1946)年米軍により撮影された航空写真より 写真下左 西側、後円部より前方部を見る。 写真下中 東側、後円部より前方部を見る。 写真下右 社殿裏後円部、かなりの盛り上がりを見る。 |
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![]() 赤丸−長塚古墳 青丸−茶臼山古墳 黄丸−池下古墳(現在は東名阪自動車道のため滅失) 昭和21(1946)年米軍により撮影された航空写真より |
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