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いのちのレンガ −O先生の講話から− ある日の<洗心講座>で O先生がこんな話をされました 「人間の一生は 毎日毎日、一枚ずつのレンガを 積み上げてゆくようなものだ いのちという自分のレンガを− レンガを、どこへ置くか、は 自分の好きです 自分のレンガですから どこへ置いても自分の勝手です しかし、一度置いてしまったレンガは もう絶対に動かない 永久に動かすことができない 置いたらそのまま− きちんと置けば きちんと置いたまま だらしなく置けば だらしなく置いたまま いいかげんに置けば いいかげんに置いたまま もう絶対に動かすことができません 置き代えることはできないのです そして いままで積み上げてきたレンガを 私達は具体的に手でさわって 見ることはできません しかしです− 見えないからといって レンガを積み上げてきた、という事実は 消えたわけではありません 人間に見えないだけです そしてまた 昨日まで積み上げてきたレンガの上に 今日のレンガを置くのです 昨日まで置いてきたレンガにつづけて 今日のレンガを置くのです どんなにまずく積んでしまったレンガでも 昨日(そこ)につづけて積む以外に 今日のレンガの積み場はないのです まずいからといって 昨日に離して全く別なところに 積むわけにはゆかないのです」 と− こわい話でした ところでわたしはどんなレンガを 積み上げてきたのか− 慾望というレンガ 虚栄というレンガ 愛憎というレンガ うそ偽りというレンガ 喜怒哀楽というレンガ 怠け心というレンガ それから、自己顕示慾という 始末に負えないレンガ− 見えたらとても恥ずかしくて 到底まともに見ることは できないでしょう さて あなたのレンガは・・・・・・? |
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