このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
蒸気機関車D51 (JR東日本・上越線)
快速EF&SL奥利根号(かいそくEF&SLおくとねごう)
正面改札口を入ると広がる上野駅低いホーム。演歌にも唄われ、終着駅とか北の玄関口などの言葉が良く似合う。新幹線開業前には特急列車をはじめ数多くの列車で賑わっていたこのホームも、今では常磐線のひたちと何本かの新特急、北海道までの寝台列車北斗星が停まっているくらいで、空いているホームを見る事が多くなった。それでも、どこか懐かしさの残る頭端式の上野駅低いホーム15番線に午前7時40分、茶色い電気機関車「EF64‐1001」と6両の青い客車が姿を現わした。「快速EF&SL奥利根号」の入線だ。JR東日本の企画列車として年に数回運行され、上野を電気機関車に引かれて出発、高崎線を進み群馬県の高崎で蒸気機関車にバトンタッチ。そのまま上越線の山間部を谷川岳麓の水上まで駆け上がる。
一度は動く蒸気機関車に乗ってみたいと思っていた私。京都の梅小路機関区や静岡の大井川鉄道など、定期的に運転している所もあったが、どこも遠かった為に諦めていた。そんなある日、新聞の広告にSLの文字を発見。近くの上野からの出発と、機関車が子供の時から憧れていたD51(デゴイチ)だったので、急いで指定席券を購入していた。
上野〜高崎
朝から小雨の降る2000年10月29日、SLへの期待を胸に列車に乗る。指定席は機関車のすぐ後ろ、6号車だった。最近は電車に乗る事が当然となっていたので、電気機関車に引かれる客車に乗るのは、かなり久しぶり。客車には電気機関車からの振動と音が全体に響いていた。それにしても・・・異常な振動のある事に気がつく。と、黄色いヘルメットを被ったJRの作業員の方々がこの6号車を取り囲む。汽車は出発時刻の7時57分を過ぎても動こうとしない、やはりこの振動は異常だった。ダイヤの問題もあるのだろう、汽車は作業員を乗せたまま、定刻を10分遅れで発車する。
上野から、次の尾久にかけての沿線は、私の好きな風景のひとつである。上野駅低いホームから出た列車は、常磐線の線路と平行して走り、すぐに上野駅高いホームからの宇都宮線・高崎線・常磐線、そして京浜東北線・山手線の線路と並走する。京浜東北線と山手線は途中の鴬谷駅に停車するが、合計10本の線路はそのまま並んで京浜東北線・山手線・常磐線の日暮里駅へと進んで行く。日暮里で上野地下ホームからの東北・上越・秋田・山形・北陸新幹線が地上に顔を出し、常磐線が水戸に向かって右に大きく曲がる。すぐに京浜東北線・山手線の西日暮里駅が現われ、ここで新幹線と京浜東北線・山手線は直進、宇都宮線と高崎線は尾久に向かって少し右に進路を変える。そんな風景を楽しんでいると、列車は徐々にスピードを落としていった。本来、上野を出た後は大宮に停車するのだが、客車の振動により尾久に停車する事となった。尾久駅は普通電車しか止まらない小さな駅だが、その敷地内には操車場を備えており、様々な列車や機関車が停められている。新幹線の開通により、今では隣の田端操車場が新幹線車両基地になってしまったが、試運転列車やお座敷列車などを見る事も少なくない。つまり操車場には車両のプロが多くいる訳で、この尾久駅で更に作業員の方が乗り込んできた。
3分ほど尾久駅に緊急停車した列車は、先程別れた新幹線や京浜東北線に再び出会い、更に左から埼京線が合流して赤羽駅を通過、すぐに新幹線と埼京線は左に別れ、荒川を超えて埼玉県へ。京浜東北線と並走しながら大宮へと向かう。武蔵野線と立体交差した後、赤羽で別れた新幹線と埼京線に再び合流し、列車は異常な振動を繰り返しながら大宮へと向かう。途中、作業員の方が携帯電話で連絡を取り合い、列車下部の作業の為に到着番線を変更しての大宮駅到着となる。停車する事10分、作業は無事に終了した。
同じ線路を走っていた宇都宮線(東北本線)とはここ大宮でお別れ。更に新幹線と川越線とも別れ、ここからは高崎線の線路を一路、高崎まで進む。
高崎〜水上
午前10時、高崎駅に到着。高崎は高崎線と上越線、信越本線に上越・北陸新幹線が交わる大きな駅。ここで電気機関車は切り離され車庫へと向かう。先の引込線には白い煙を上げて待つ蒸気機関車D51が停車していた。すると「シュー」と蒸気を出しながら客車への連結のため、バックでゆっくりとこちらに来る。「ボゥォー」上手く音の表現ができないのだが、煙をたくさん上げながらの徐行。はじめて聞く蒸気機関車の音に、胸の高鳴りは大きくなっている。そして自分のすぐ横に来た蒸気機関車は、次の瞬間「ポッポッ」と警笛を鳴らした。その音の大きさに驚き、ビデオカメラを持っていた私の体は一瞬、ぐらつく。
真っ黒な車体のD51‐498、機関車から吐き出される蒸気や機関車の形から、その姿はまるで生きている動物のようである。約15分間の連結作業を撮影し、汽車へと飛び乗った。
「ポゥォーーーーーーーーーーッ」午前10時18分、汽笛を鳴らしながらゆっくり蒸気機関車は動き出した。ここから上越線を水上まで進んで行く。機関車のすぐ後ろの車両だからであろうが、客車は今までに経験のない動きをする。ピストンが動輪を動かす瞬間のシュッシュッの音とともに、客車はグイッグイッと引っ張られる。スムーズに加速していく電車では、絶対に体験できない動きであろう。周囲の建物にこだまする汽笛、沿線には手を振っている子供たち、途中の踏み切りでは、突然目の前を通りぬける蒸気機関車に驚くドライバーを見ながら新前橋駅で両毛線と別れ、渋川駅に到着する。
この渋川駅には約10分間の停車。蒸気機関車をバックに記念撮影をしたり、ほとんどの方が機関車の周りに集まっていた。機関士さんのはからいで、子供たちは運転席に乗せていただき、その姿を外から撮影する親御さんの姿もあった。
午前11時4分、渋川駅を出発。草津や万座に向かう吾妻線と別れた上越線は、利根川に架かる大正橋を渡り、上流の流れを右に左に走る事約30分、沼田駅へと到着する。この沼田駅でも5分間の停車となる。釜に石炭を入れる作業を見た後、汽車は左に利根川を見ながら、山間部を後閑、上牧と停車し、水上へと登って行く。
途中、トンネルが増えてくる。昔の話「トンネルで窓を開けていると真っ黒に・・・」を想い出す。他の乗客には迷惑にならないように、汽笛が鳴ったら閉められる体制をとり、窓を少しだけ開けた。その結論は真っ黒にはならなかった。汽車がトンネルの中ではあまり煙を出さなかった為であろう。真っ黒ではなく、ススが軽くつく程度である。と、汽車は一所懸命に坂道を駆け上がり、12時10分無事に水上駅へと到着した。
水上駅に到着した蒸気機関車は、すぐに客車から切り離され、駅北側の機関区へ走って行く。ここには機関車の向きを変えるターンテーブルが設置されていて、機関車は高崎方向に180度向きを変える。その後、引込線にて燃焼した石炭を釜から出す作業がはじまる。この風景は一般に公開されているので、跨線橋を渡り改札口を出て右側へと急ぐ事をお勧めする。尚、場内には立入禁止のロープなどが張られているので、マナーの厳守はお願いしたい。
水上周遊?
温泉が有名な水上、近くの谷川岳をはじめ、利根川源流の景色やダムなど観光地が豊富な水上。しかし今回の最大の目的はSL。機関車や機関区での作業を撮影しているうちに時間はどんどんと進み、観光地に向かうと時間の余裕がなくなるので、舞茸の天ぷらを食べたりお土産などを見ながら、出発までの3時間を駅前で過ごした。
水上〜高崎〜上野
出発の30分前、機関区で休んでいた蒸気機関車は、汽笛を鳴らしながら客車の先頭に連結される。機関車の周囲は再度、乗客で賑やかとなる。隣のホームに停車中の新特急水上の運転手さんや乗客も機関車に注目していた。多くの方は水上温泉への旅行の足として、珍しい蒸気機関車を使うのであろう。行きの乗客とは違ったメンバーが帰りの列車のお客さんだ。まあ、観光をしない私の方が珍しいのだが・・・。
蒸気機関車の運転席には、記念撮影をする子供たちであふれていたが、人数が少なくなった所で、機関士さんに「大人もいいですか?」と問い掛けてみる。「どうぞ」と快い返事。喜んで私は、運転席に足を踏み入れた。暖かい空間に数え切れない程のバルブや配管、そして多くの計器。最新の電車はレバー1本で走ったり止まったりできるのだから、その差は歴然である。機関車と対話しながら走行する蒸気機関車の運転は、まさに職人の世界であろう。運転席から降り、機関士さんと少しだけ会話をした。高崎から水上までは上り坂で大変だけど、水上から高崎へは下り坂なので機関車の負担は少ない事。出せばもっと出るのだが、昭和15年製造の機関車へのいたわりから現在では、最高時速60キロで走行している事などを話していただいた。
午後3時25分、水上駅を滑り出した列車は、下り線と分かれて水上トンネルを進み、紅く色づきだした山並みを見ながら高崎へと向かう。
考えてみると今回、走っている姿の機関車は、写真には撮れない事に気がついた。帰りの客車は、行きの時のグイッグイッという機関車の力はそれほど伝わってこない一番後ろの6号車。「もしや・・・」とビデオカメラのレンズを外に向けると、カーブに差しかかる瞬間、勢い良く走る蒸気機関車の勇姿がカメラに映るのである。ただ、危ないと思った事もあった。実際には私も、ビデオカメラのレンズ部を車外に出しているので人の事は言えないのだが、一番後ろから見ていると同じように機関車の写真を撮ろうと、スチールカメラを持ちながら上半身を窓から出して写真を撮る大人や子供の姿を見た。何事も無くて良かったのだが、最悪の場合を考えるとゾッとする光景だった。
夕陽が完全に沈んだ午後5時20分、列車は高崎に到着する。蒸気機関車D51はここで切り離され、真っ黒な車体は暗闇の機関庫へと消えていった。しばらくして、甲高い「ピーッ」という汽笛と共に、機関庫で休んでいた電気機関車のEF64が登場する。先程まで蒸気機関車が牽引していた列車を、今度は上野まで、この電気機関車が牽引する。
出発した瞬間に、蒸気機関車とは全く違う、乗り慣れた電車の感覚が戻ってきた。スムーズに加速し、決して「シュッシュッ」の音とともに揺れる事のない動き。若干の寂しさを感じながら午後7時26分、列車は何事もなく終点の上野駅に滑り込む。丸一日の汽車の旅となったが、憧れのD51に乗れた事の嬉しさに、降り立った私の顔は童心に戻ったような笑顔だったろう。
●SL奥利根号の運行は、「JR時刻表」又は「JR東日本高崎支社」のホームページでご確認ください。
目次へ戻る |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |