旧前川邸
光縁寺前の道(綾小路通)を西に進むと、古い建物が多い京都の町中でも特に異彩を放つお屋敷が現れる。
旧前川邸は新撰組の初期の屯所の1つであり、山南の切腹や古高俊太郎の拷問(御所に火を放ち帝を連れ去るという例の計画が露見)が行わた事で有名である。
また中には刀傷や近藤勇の落書き等も残り、現存する新撰組遺蹟の中では最も彼らの生活臭の残る場所なのであろうが、現在は個人の住居となり、その魅惑の内部は残念ながら非公開である。
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その壮大な外観だけでも拝見し、山南が出窓越しに明里と別れを惜しんだ情景でも思い浮かべようと邸の前に来て驚愕した。大きな門が全開になっているのだ。恐る恐る内部の様子をうかがうと、そこから見える光景はまるで映画のセットのよう…いや幕末にタイムスリップしたかのようである。
建物の玄関部分には数脚の腰掛けが置かれ、グッズ販売を行っているような気配がある。門には邸内の写真が額に入って飾られ、反対側には京都博物館で行われている新撰組の催し物のポスターがやはり額に入って吊るされている。どう控えめに考えてもこれは観光客の為に行われているようにしか見えなかった。
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そのグッズ販売店兼玄関までまた恐る恐る入ると、店員さん兼住人の方が迎えてくださった。なんと今年(2003年)の7月からこういう形で、邸内の一部を一般公開しているのだという。ありがたい話だ。絶対に観る事は出来ないと思っていただけに喜びはひとしおだ。先程額に入れられていた写真は絵葉書であったので迷わず購入した。
隣接する工場がある付近は100坪程の広さがあり、隊士たちが剣術の稽古に勤しんでいたらしい。勝先生や大久保先生を迎えたのはここだったのだろうか?
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