大正初年、リウマチを患っていた夏目漱石は、親友中村是公の勧めで湯河原にやってきて、天野屋旅館に逗留した。最初が1913(大正4)年11月の7日間、翌年には1月から2月にかけて20日間も滞在した。この年5月26日から『朝日新聞』に『明暗』を連載したが、作者の死(12/9)で未完に終わった。その『明暗』に天野屋旅館らしい宿が登場するし、宿の前を流れる藤木川上流の、不動滝をモデルにしたと思われる「滝」も出てくる。漱石の日記)には不動の滝そのものが出てくる。大正4年11月11日の項に、「不動の敵。橋二つ渡る。左の下河と田、右山(稍開きたる)の間を行く。其先に一軒の茶店あり。渓流に臨む。右に上る数間にして滝二筋天辺より来る」とある。現在滝は一筋だが、当時は二筋だったことが分かる。「御茶屋の御神さん、色白く眉濃く赤い襦袢を裾より下へ一寸出して……」という観察、宿に帰って下女からその女性が元芸者だったいう話を聞いたことなども記してある。
天野屋旅館には、漱石の「山是 山 水是 水」の書なども保存されているというが、現在は営業を中止している。所有が他に移って、別の物に生まれ変わるような話も聞いたが、どういうものになるのか、はっきりしなかった。 |