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湯舟敏郎


これは世界広しとはいえどもさて、数少ない湯舟敏郎のためのページである。
先ず阪神ファンでない方には湯舟敏郎とはいかなる人物か御存知ない方もおられると思うので、 簡単に紹介をさせて頂こう。

湯舟敏郎:僕(だけ?)が阪神のエースと信じて疑わない本格左腕。

特徴は常ににこにこ(にやにやという噂もある)しながら投げること。
調子の好不調が激しく、絶好調のときは三振の山を築くが、悪いときは四球の山を築く。
当てられたら最後の直球と、調子のいいときには絶妙な切れ味のスライダーを織り交ぜた投球は、 見るものを冷や冷やさぜずにはおかない。満塁でも四球を怖れない強心臓の持ち主でもある。
毎年開幕前は絶好調で今年は15勝行ける、という期待を持たせ、それだけで終わる。
あと『百球肩』という湯舟の為に作られた単語が存在するが、実はどの回にも満遍なく打たれている気もする。

経歴・実績も簡単に紹介をさせてもらうと、

1966年10月8日生まれ。大阪興国高校卒業後、奈良産業大学、 本田技研鈴鹿を経て1990年ドラフト1位で阪神に入団。

入団当時、既に地の底を這っていた虎投にあって即戦力と期待され、新人の年から先発の一角として活躍。 コントロールの割には人だけ良かった仲田幸二が狂い咲きした1992年には 仲田・猪俣両左腕、葛西・中込・野田らとチームを支え、チームは投手王国と呼ばれた。 その年の6月14日対広島戦で無安打無得点試合達成。
翌年、そのマスコミの『投手王国』という言葉に騙されたのか、フロントは野田を放出、代わりに松永を 呼ぶという世紀の失敗トレードを実施。案の定仲田は翌93年からもとに戻り、猪俣はその93年で燃え尽きる。 悲劇の投手葛西は、線の細さによる体力の限界からか、中継ぎ・抑えに転向。中込は怪我で長期離脱。
そんな中、湯舟は93年ドラフト1位の右腕藪とともに、かくも長きに渡る第二次暗黒時代を主力として活躍。 ちなみに92年に湯舟が記録した年間四完封というのはこの十年の阪神の最多。

そんな湯舟であったが、1998年4月28日の三回、春からの怪我が治りきらない中の、 先発の頭数が足りないと、無理しての登板でホームカバーの時に負傷し、 無念の途中退場。それでその年を棒に振ってしまった。 今度こそトレードが危ないと思っていたが減俸であるものの残留。

そして開けて1999年4月14日の横浜戦、一年ぶりに公式戦復帰をしたものの、 99年度は不本意な一年になってしまった。 復活の2000年はシーズン前半にその時点では両リーグトップのシーズン二完封をするも、 そのあと調子がいまいち上がらず、後半は一軍と二軍を行ったり来たり。

そしてとうとう2000年オフ、近鉄バファローズとの間にトレード成立。個人的にはまた あほフロントは損をするトレードをしたと思うのだが、とにかく2001年のシーズンからは 近鉄でプレーすることとなった。阪神での通算成績は59勝79敗3セーブで、2001年シーズン終了時点では この阪神在籍時59勝は歴代20位、915奪三振は同7位である。
ちなみに阪神時代には湯舟が投げたときには新庄がよくホームランを打つ、一時期抑えをしていた古溝はよく打たれる という傾向があったように思う。

そして2001年10月16日、その 大阪近鉄バファローズから戦力外通告が出された…

その直後の19日、湯舟の阪神の二軍投手コーチの就任が正式に発表され、現在に至る。

身長176センチ:体重85キロ。
生涯成績60勝79敗。


湯舟敏郎生涯成績1991〜2001

公式戦
年度登板完投完封勝利敗戦セーブ勝率投球回被安打被本塁打奪三振与四死球自責点防御率
199123325110.313112114811451584.66
199227741180.579146 1/31131413665462.80
199323411260.6661611581413162633.52
19942320570.4171301141510966443.05
199533205131.278172 2/31752315777763.96
199629105142.263132165179848714.84
199727311060.625136 2/3152147656543.56
1998400110.50017 1/317010773.63
1999900160.14356 2/37364126365.72
20001832470.36484 2/39584334495.21
200137001001.0033 2/33731424205.35
生涯253251060793.432118312131229295165243.99



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