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円覚寺 (えんかくじ)は首里城北面にかつて存在した臨済宗の寺院で、尚真王が父・尚円王の菩提寺として鎌倉の円覚寺ばそっくりマネして建立した。1492年から3年がかりやったゲナ。 | |
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寺の前にある円鑑池(えんかんち)では、中国からの冊封使(さっぷうし)ば招いて宴が開かれるなど、琉球王朝史の中で極めて重要な位置ば占めとったらしか。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 放生橋は室町時代のもので、中国の石工の作て言い伝える石の桁橋。高欄に弘治戊午歳(1498)の銘がある。 ![]() ![]() ![]() ![]() 復元された山門 北側から見た山門と放生池 本家・鎌倉の円覚寺は 円覚寺の入口 米軍に焼かれる前の円覚寺伽藍 | |
場所・沖縄・那覇市首里当蔵町。ゆいレールの終点・首里駅から鳥堀の交差点ば西へ龍潭通り(県道29号線)ば10分。首里当蔵郵便局の先で左折してすぐ左手にある。向えには沖縄県立芸術大学がある。 取材日 2008.1.23 | |
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