このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

まだ残る国鉄時代

113系やEF65のような車両は別として、
駅や線路に残る古い国鉄時代のもの。
滋賀県内のものを中心に、このあとなくなっていく前に、
少しずつ記録していこうと思います。

 

篠原駅のぱたぱた

古い木造駅舎にぱたぱた表示器が現役。上下線の表示器間には時計があったのでしょうか?


表示機の上は書き換えられたものの、中身は国鉄時代そのもの。
丸ゴジック体がいいですね。表示機は昭和56年3月製。

 

 

石山駅の時計

昭和45年製。改札上にまだ現役です。となりのぱたぱたはLEDに換えられてしまいましたが。
この手の時計、昔はどこにもありましたよね。

 

 

京都駅ホーム上屋の庇

光線の加減でちょっと見にくいですが、京都駅ホーム上屋の庇はなかなか特徴ある、優美な姿です。
クモハ51が出た頃、昭和15年前後の写真にもこの丸穴庇が写っていますので、大正3年の駅改築時のものかもしれません。
一部取り替えられているのを掲示板にupされた写真で発見し、見てきました。(2005年11月27日撮影)

右と左で庇の長さが違い、かつ左側は支えのような横桟もありません。
どうやら地下鉄の乗り入れ工事かその前後にこの部分のみ取り替えたようです。
塗装されていてはっきりと違いはわかりませんが、いかにも右側は厚化粧です。

これがその庇に気が付いた写真です。どう見ても一部だけきれいでしょ。
この写真、1985年頃のものだそうです。名無しさん (h219-110-162-154.catv02.itscom.jp) ありがとうございます。

 

天満駅の案内看板

滋賀県と離れますが、環状線天満駅に懐かしい国電時代の案内看板が現役でしたので、
おもわず写真を撮りました。(2006年1月21日撮影)
自動きっぷうりば、昔はこの表示に従って進むと、小さな自動販売機が並んでいました。
「120円区間」のような単能機、こどもの切符はふたをめくってボタンを押しました。
この看板は昭和47年1月製。113系赤帯が登場の頃ですね。
ちなみにカメラの加減で周囲通路が暗く写っていますが、実際にはもっと明るいですよ。

連絡社線きっぷうりば、って最近言わないですよね。東京あたりではどうなっているのだろう?
ページ製作中に気づいたのですが、後ろに写っている地下鉄阪急の天六駅案内、旧の大阪市交通局の字体かな?

JR西のフォントの案内板。これは現行のもの。
でもよく見ると表示機は昭和42年製。化粧直ししてがんばっています。

 

 

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