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07年 1月

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341.  1/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  地下鉄はチハチョル、だったよな

340.  1/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  カーブの下り坂が実は好き

339.  1/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  変調音は新型車のあかし

338.  1/24 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  階段の上り下りはよい運動

337.  1/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  人に優しい偽善者になろう

336.  1/21 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  列車で寝るのは得意だが

335.  1/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  海外に修学旅行へいくのも珍しくない時代

334.  1/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  携行品に手をかけていれば狙ってみよう

333.  1/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  大阪万博を懐かしむ世代

332.  1/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  18族のおばちゃんは走るんだ

331.  1/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  雪のライトレールも見たい気がする

330.  1/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  笹持ってICOCA

329.  1/8  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  タッチして行こか

328.  1/5  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  定期券がどこでもドアならいいのにな

327.  1/4  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  新春はバーゲンで明けるのか

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  地下鉄はチハチョル、だったよな

 

1/30

小寝坊して711Mで大阪駅に着く。

707Mの7時よりさすがに人が増え、改札までの間でもなかなか自分のペースでは歩けない。

が、突然大きな柱の横に立って何か本を開く2人組の女の子を見つけた。

ぱっと見韓国人であろうことはすぐに見当がついた。

とりあえず何してる?と英語で聞くと、ここにいきたい、と本を見せる。

ホテルへ行きたいらしい。どれどれ、と本を見る。もちろんハングルなので何が書いてあるかはわからないが、

とりあえず彼女たちがいきたいのは西成区萩之茶屋であることはわかった。

最近流行の外国人向け安宿の一つらしい。

 

わだらんがオランダに行くときは部屋数6の小さなホテルに泊まる。

駅徒歩2分のとても便利なところである。

普通電車しか停まらない小さな駅だが、オランダのどこへ行くにも乗り換え一回、空港にもアムステルダム市内にも30分程度、

とわだらんには極めて居心地のいいところである。

が、もちろん日本のガイドブックに載ることはない。ガイドブックに載るようなホテルは高すぎて、わだらんには手が出ないのである。

きっと西成区のホテルもそんな感じなのだろう。萩ノ茶屋というと、一部の方はあまりいい印象は持たないのかもしれないが、でもきっとそれは思いこみ。

彼女たちも宿代を浮かせて、その分あちこち見て回ってもらえればいいな、と思う。

 

さて、萩ノ茶屋ならとりあえず動物園前か。御堂筋線に乗せねばならぬ。

で、彼女たちを引き連れ地下鉄梅田駅まで案内し、ここで切符を買って乗っていきなさい、と見送った。

なかなか笑顔のかわいい彼女たちであった。

ふと空を見ると雲一つない(といっても見える範囲は限られるが)快晴である。

ちょっと気分がよかった。

 

が、その直後である。

よく考えると、彼女たちは新今宮を目指していたのではなかったか?

少なくともジャパンレールパスを持っていたので、新今宮から歩けば、地下鉄に乗らずとも、切符を買わなくても済んだはずだ。

だから彼女たちは大阪駅ラッチ内にいた訳か。何で動物園前=新今宮に気がつかなかったのだろう、と一転して暗い気分になってしまった。

せめて彼女たちがいい旅行になりますように。

アンニョイカセヨ!

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  カーブの下り坂が実は好き

 

1/29

例によって歯医者の日。さっさと切り上げ、17:45の新快速に列を作る。

まだ17:30が出た後間もなくで、扉によっては列のないところもあり、幸いにも先頭8号車の後ろ扉も待ち人一人。

これで先頭に並べば楽勝で座れる。

ゆっくり休ませてもらうことにしよう。

 

先日、阪急京都線の特急を見る機会があったのだが(正確には快速急行)夕方18:00の京都行きでも先頭には空席があった。

梅田駅の構造上、先頭位置が乗りにくいのは十分わかるのだが、意外と空いている、とずいぶん驚いた。

もっとも、滋賀県民を多数運ぶ新快速と、せいぜい京都市内までしか勢力範囲のない電車では勝負は決まってしまうのかもしれない。

もちろん新快速の乗客がすべて滋賀県民ではないし、実際高槻で大量に下車するのだが、それでもまた高槻から乗ってくる。

一方、阪急の場合、すべてを見ているわけではないが、高槻市で下車客は大量にあるが、乗り込む客は多くない。

都市間連絡とはいえ、どちらかといえば、梅田に向いた片方向輸送なのだろう。

その点、JRの場合、京都を境に再び乗車があるし、琵琶湖線内も結構通勤者が朝の上りや夜の下りに乗っている。

電車も便利だと、ますます人の行き来も多くなるのだろう。

 

わざわざ野洲から大阪市内に通うのも物好きなのだろうが、相変わらず野洲と草津の間はマンションの供給が続いている。

すべてが大阪への通勤者ではないはずだが、やはり駅から近い立地の良さが売りである。

まぁ、茨木だの高槻だのでは、駅から近いところでマンションを手に入れるのにそれなりの資金が必要で、手頃な滋賀県内なら、と思う方も多かろう。

この先鉄道利用者が大幅に増えるとも思えないご時世、新たな通勤客が琵琶湖線の電車本数増加に一役買ってくれればうれしいと思う。

 

目が覚めると、ちょうど3498Mは狼川への坂道を登っている。

瀬田と南草津間の小さな川で、しかも天井川。かつてはトンネルだった。

今は天井川の上を橋梁で越えるので、ちょっとした坂になっていて、川を渡ると左カーブしながら坂を下りていく。

ほんのちょっとのことだが、その下りながらの左曲がりが、わだらんのとってもお気に入り。

なにか気分がいい、特別な区間である。

しかも湖岸側は田畑が広がり、とても気持ちのいい眺めである。

が、残念ながら、その広い田畑も区画整理が終わり、いよいよ宅地化。

乗客が増えるのはいいことだと言いながら、一抹の寂しさを覚える寝ぼけ眼のわだらんであった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  変調音は新型車のあかし

 

1/26

大阪駅御堂筋北口の改札をICOCAで叩いたちょうどその時、天井から電車の音が響いてくる。

18:37の3508Mが出発したようだ。

10番線に上がると、各扉に1,2名ずつ列を作っている。

3512Mは大阪始発、前5人くらいまでは楽々着席。

隣9番線には3510M列が少しずつ延びているが、3512Mの伸び率は鈍い。

18:37の3508Mは入線前から列が長いが、18:52の3512Mは人気薄。

不思議には思うが、まぁ19:00の3514Mも12両で比較的空いているし、無理に並んでまで座る列車ではないのかもしれない。

 

そんなわけで、わだらんは3512Mの先頭8号車の後ろ扉から乗り込み、窓側を確保。

発車まで10分ほどあるが、既に熟睡体勢、結局出発をしらない。

隣のオヤジが京都で降り、起こされてしまったが、また寝入ってしまった。

 

さて、気持ちよく寝ていたところ、大津着の衝撃動で起こされた。

電車が前後に少し揺れながらブレーキをかける。滑っているようだ。

新快速に使われる223系はモーターの付いた動力車の力が強いこともありちょっと空転をはじめると、大きな音を立てて電車が滑る。

これは結構わかりやすく、いかにも線路が濡れている、と実感できる。

案の定、大津のホームの屋根のないところは水たまりができ、結構強い雨であろうことは容易にわかる。

 

その後も滑りながらそろそろと出発し、少し慎重にブレーキをかける。

前後の列車の関係もあって、野洲には3分遅れ。

やはりちょっと強めの雨である。

野洲駅ホームは降りた客で短い上屋は人だかり。

でも雨のせいか、さして寒いとは感じないのがありがたい。

 

しかし、冬は特に先頭車(必ず電動車なのだ)に乗って、雪がないかを確かめるのがいつもの習わしだが、今年は雪にならない。

夏に渇水にならないか、ちょっと心配するわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  階段の上り下りはよい運動

 

1/24

わだらんが中学生の頃、岐阜から何度となく京都大阪へ出かけた。

もちろん新幹線などというのは遠い存在で、普通電車の乗り継ぎである。

当時の米原以西、今の琵琶湖線区間は113系電車が時間1〜2本、周囲ものどかで長閑な景色であった。

そんな景色の中、守山には印象が深かった。というのも、駅の東側に大きな団地(今の言い方ならマンション群となるか)が建ち、

いかにも都市近郊のイメージだったからである。

次の草津からは複々線となり、いよいよ京都に近づいた、と胸の高鳴る思いであった。とはいっても今の栗東駅のあたりは田んぼしかなかったのだが。

 

わだらんが自分のホームページを作る材料として、この地域の過去をいろいろ本で読んでいくうち、

守山駅東側のマンション群はかつて煉瓦工場があった跡地だった、とわかった。

当時は野洲川河原とその付近から産出する粘土を使って煉瓦を作り、守山から貨車で全国へ発送していたそうだ。

さらには、旭化成や富士車輌などへの専用線が延び、貨車の仕訳・留置のための側線を多数持っている構内の広い駅であった。

ところが最近になって守山の貨物扱いは終了し、1年少し前から、場内・出発信号機を持たない停留所になってしまった。

ここ一ヶ月でかつての待避線のレールも剥がされてしまい、すっかり寂しくなった。

 

しかし不思議なのは、その貨物扱いがなくなる直前に、東口駅舎前の駅前広場の整備が完了し、駅への階段にエレベータとエスカレータが付いたことである。

そのすぐ後に貨物扱いはなくなり、結果的に構内の貨物用線路跡地は荒れるがまま。

これなら、駅舎と駅前広場を最初から駅にもっと近づけておけばよかったではないか、と疑問に思う。

立派な広場を整備したのに改札から遠く、長い通路を歩かねばならない。

なんとももったいない話だ、と思う。

歩かされる乗客も、荒れた線路跡地も、さらには駅から離れた駅前広場も。

 

草津で新快速を受ける808T大垣行きは編成後ろが混む電車。

それでも守山では後ろ側で大量降車があって、車内が落ち着く。

何せハートイン内の改札を通れば、西側広場に階段を通らずに出られる、便利な出口であって、降車客が集中する。

結局橋上駅舎というのは東西の自由通路を確保する、という名目の駅の合理化であって、乗客のためにはあまり役立たないのだろうか。

少なくとも、階段を登らずにすむ改札があれば、エレベータなどつけずともそれがバリアフリーなのだろうから。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  人に優しい偽善者になろう

 

1/22

18きっぷの季節が終わった。これで米原−敦賀の普通電車も少しは空くようになるとは思う。

列車が短く、本数も少ないので、どうしても乗客が特定時間の電車に集中するようである。

つまり、混んでいるわけだ。

しかも、敦賀の直流区間用ホームが南端のかなり遠いところなので、意外と乗り換えに手間がかかる。

最近は18きっぷのお年寄り利用も多く、ホームを走れる若者が席を取り、歩いていくお年寄りが席を取れない状況には多少の疑問も感じるが、

かといって若者が座ってはいけないわけでもなく、難しい。

函館市電のなかで撮影された某生命保険会社のCMを偶然見た。

わだらんは実に1987年の青函航路の時廃止以来、もう20年も函館に行っていないのだが、特徴ある車体と港を見下ろす風景は、一目で函館とわかるものだ。

とはいえ、函館市電に明るくない方はどのCMが函館なのかピンとこないだろうか。

若い男性が電車の中で妊婦に席を譲り、電車を降りると妊婦の妻が電停で夫の帰りを待っている、というストーリーの話である。

まぁ、そんなにうまい具合に展開するとは思えないが、話はわかりやすいものだと思う。

 

一般的に、車両の端面側の座席の一部は優先席として区分されている。

この席は、この席を必要とする方の優先席で、この付近では携帯電話の電源を切らねばならない、とされている。

ところが、実際には決してこの席を必要とするとは思えない一般客が座っていることがほとんどである。

これとて、優先席であって、専用席ではないわけだ。

時にはわだらんも座ることがあるし、ましてや朝の新快速では座席を選択する余裕はない。

譲り合いとはいえ、なかなか他人に優しい、というのを実行に移すのは難しい。

それでもまだ善人を装っているわだらんとしては、時折席を譲ることはある。

休日に電車に乗るときにはもともとあまり真剣に座る努力はしていないし、座っていて近くにお年寄りがいれば席を譲る。

やさしいふりをしている。

あくまで、余裕のある時だけだが。

 

今日は月曜、とっとと仕事を切り上げて、歯医者へ通うために急いで大阪駅へと向かう。

17:30の3496Mを狙ってみたのだが、ホームに上がると目の前でドアが閉まった。残念、でも17:45の3498Mの列先頭となれた。

15分待った甲斐あって、入ってきた電車に乗り込み、あっさり窓側前向き席を確保できた。

これで熟睡できるし、何より窓側に入っていれば、あまり座席を譲ることに注意しなくてもいいのがありがたい。

しかも隣はまだ学生かと思われる若い女性。これならわだらんが立つこともないだろう、と安心である。

目が覚めると草津。途中でごっそり客が入れ替わったのだろう、立ち客の姿は大阪駅とは全く違っている。

幸いにもわだらんの座席のまわりには高齢や子連れの若い母親もおらず、そのまま座ってうとうと。

窓側がとれればまず安心、譲ることに悩まなくてもすむからね。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  列車で寝るのは得意だが

 

1/21

夜行列車というのは一種独特の雰囲気がある。

晴れ晴れしいというよりはむしろもの悲しいというか、もの静かというか、どちらかといえば暗いように思う。

知らないところへ出かけるというちょっとした不安と、多少の疲労と。

少なくとも朝出かけるよりは日が暮れてから出る方が気分は暗いか。

まぁもっともそれはわだらんが勝手にそう思っているだけかもしれないし、大阪駅桜橋口のドリーム号への若い行列を見ていると、暗い雰囲気はないし。

ただ、昼12時のトワイライトが出る時にはあまり悲哀などというのは感じないのでもちろん列車の性格にも依ろうが、

やはり夜に出かけるというのは独特なものだ、と思う。

ただ、昔はもっと夜行列車が当たり前だったし、出張者の夜行利用はごく当たり前だったので、今よりもっと雰囲気は違っていたのだろうと思う。

わだらんのおじはかつて自動車を構成する部品関係の仕事をしていたのだが、埼玉の本社から広島への出張は当時いつもあさかぜ利用だったそうだ。

今なら飛行機か、あるいはのぞみか。ビジネスホテルも安いものが増えたし、無理に夜行に乗る必要もないのかもしれない。

 

とはいえ、夜行列車、寝台に乗るのが好きがという人間も実際いるわけだし、おとなの趣味を説くような雑誌にしばしば夜行寝台の話が載るわけだから、

非日常(であろう)を体験できる夜行列車にはせめて今残っているものだけでもまだまだがんばって欲しいと思う。

 

21日の朝、大阪駅に銀河で東京からやってきた人を出迎えに出かけた。

直前に着いた日本海は青森車で、昔の国鉄幕をそのままくるくる回転させ、あさかぜやさくらの方向幕を久しぶりに見せてもらった。

その直後、向かいのホームに着いた銀河は宮原車。JR西の黒地幕で、彗星だのシュプールだのと幕を回す。

昔を思い出すには十分だが、列車から降りた人の数に、昔はよかった、としか言葉が出てこないのは残念だ。

 

遠くからやってきた知人に会うのはとても楽しい。

会話も弾み、いい時間になった。

朝目的地に着くのが夜行列車の最大のセールスポイント。

もっとその利点を有効に使えるような列車のソフト面の改良や、PRができて、幕に新しい列車名や行先が追加できる時代が来ればうれしいな。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  海外に修学旅行へいくのも珍しくない時代

 

1/19

わだらんが岐阜市内で中学校をしていた頃というのはもうすっかり昔話であるが、そのときの修学旅行は東京・日光・箱根の2泊3日であった。

往路は新幹線で、帰路は在来線の利用予定であった。

当時東海3県の学校起債による、こまどり号という修学旅行電車(159系)があり、それを利用するものであった。

田町や宮原の155系と違い、大垣の159系は車内は大きく一般車と変わるものではなかったのだが、そもそも団体の貸し切り列車初体験、

しかも東海道を在来線で帰ってくるという、わだらん的にとても楽しみにしていたのだ。

 

ところが、当時は鬼の動労なる組織が存在し、せっかくわだらんが楽しみにしていた東海道線経由の帰路の日程にまんまとストが重なってしまった。

結局貸し切りバスで箱根をすっ飛ばしてそのまま岐阜までずっと帰ってくることになってしまい、修学旅行電車には乗れずに終わってしまった。

もちろんそのおかげで、まだ全通後日の浅い東名高速を走ることになり、それはそれでよかったのだが、

その数年後にはこまどり号の設定がなくなり、修学旅行電車なるものは姿を消してしまったので、なんとももったいない、と今になっても思う。

 

18日の朝のことである。

例によって707Mで大阪駅に着くと、隣3番ホームにこの時間に見慣れないものが停まっている。

ボンネット型の特急車、金沢の489系である。

大阪でのボンネットの姿は定期運用としては既に過去帳入りであるが、臨時列車としたはいまだまれに見ることができる。

多少塗装の色落ちが幾分疲れたように思えるが、元気そうで何より。

早朝にもかかわらず、この珍客相手に三脚を持った男が2名。

ひょっとすると環状線側から狙える前方はもっと人が多かったかもしれない。

なんとも早朝からご苦労だと思う。とはいえ、出勤前にわざわざコンコースから別ホームに上がり直すわだらんも少々いかれているか。

 

この臨時の電車、兵庫県内の学校のスキー実習のための足として設定されたもので、これから加古川まで行き、その後信州へと送り届けるのだそうだ。

スキーなので、おそらく高校生だとは思うが、多少くたびれたとは言っても特急車での貸し切り使用とはうらやましい。

こんな車両は贅沢だ、といえば、修学旅行電車にすら乗れなかったわだらんのひがみに聞こえるか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  携行品に手をかけていれば狙ってみよう

 

1/17

草津で目が覚めた。

20:49、定刻の到着である。

このところ大きな乱れに会わず、毎日時刻通りの電車に乗っている。

もちろん日中に東加古川で事故があったり、細かいことはいろいろ絶えないようだが、わだらんは実に順調である。

 

目が覚めてなにげに下りホームを見ると、発車案内が新快速、普通と並んでいる。

06年3月のゆとりダイヤで、草津−京都間で外側を走る新快速が朝夕を除き、ほぼ消滅したようである(全部の電車に乗ったわけでないので断言できないが)。

外側線を突っ走る方が新快速としては似合っているのだが、山科で速度制限があり、下りは京都入線でも分岐で振られるので、

あまり外側のメリットはなく、湖西線列車との競合もあってか、内側に戻されたようである。

実際、山科手前で45km制限を受けるので、併走する内側線電車に抜かれることもよくある話である。

 

というわけで、新快速が内側走行になったものの、草津駅は下り新快速と普通(T電)のホームが左右に別れる比較的少ない駅である。

琵琶湖・京都線内では、新快速と普通/快速(T電)は同じホームの発着、つまり大阪駅5/8番をはじめ、

新大阪、高槻、京都とC電に対する快速系としてホームが別れ、琵琶湖線内は下り上りの各列車として同じホームに発着している。

ところが、草津下りは新快速が3番、普通が4番を主に使用していて、ホームを違えて発着させている。

乗客案内上わかりやすくていいことだと思う。

といっても、ホームを分けるのはどちらかといえば運転上の都合、草津で内側4番では分岐の60制限を進入時に受けるのだが、3番側は制限なし。

つまりホームへ高速で進入できるわけで、所要時間の短縮に結構効くものだろうと容易に想像が付く。

高速運転から制限なしでホームに入れるのは運転ミスの減少にもつながるだろうし、いいことだと思う。

今のところ草津下りのみの特権であるが。

 

そんなことを下りホームの発車案内を眺めながら見ているが、この時間すれ違う下りの新快速はほとんど12両。

うらやましい限り。わだらんの乗っている3522Mは大阪20:00の8両編成、よく混む電車。

12両なら楽なのに。

でも今日は幸いに大阪駅でうまく座席の横に立てて、かつ狙った客は予想通り新大阪で下車してくれたので、あっさりと着席。ありがたい。

大阪駅で降りずに座席にそのまま座っている客を上手に見つける、この勘が当たればとっても便利。毎日観察しながら勘を磨いているわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  大阪万博を懐かしむ世代

 

1/15

最近はどうも昔、昭和30年代から40年代の話がブームのようである。

書店には国鉄のしかもまだ蒸気の時代の写真集が並び、あるいは路面電車や地方私鉄がとても元気だった頃の大型写真本なども次々と出てきている。

過去の写真にはもともと興味のあるわだらんではあるが、加太越えのD51や、キハ17、DF50などを目にすると、まだ幼い頃のわだらん自身を思い出す。

一日一本、お昼前にやってくる特急くろしおがとてもたいそうな列車で、独特の雰囲気を持つ、長い10両編成の優美な姿であった。

今の電車を見ても、あの頃のような、いわばあこがれのような気持ちを持つことはないし、その前に、そういう気持ちになるような車がない。

わだらんがもちろん子供だったからではあろうが、この頃は何か鉄道がとても輝いて夢のある乗り物であった。今はどうだろう?

 

そんなことをふと思ったのは、昨晩に見たとあるテレビドラマがきっかけである。

話の冒頭に神戸市電(の設定だな)が出てきたのだが、作り物のこの電車、わざわざ1157と車番を入れているのなら、それらしくしてほしかった、と。

神戸市電1150型というのは大きな窓の優美な姿、扱いやすい機器を積んだ名車だったのだが、

ドラマの電車はオープンデッキの、まるで明治時代かと思う、現車に似ても似つかないものであった。

それなら、車番など描かねばよかったのに、と思う。

その点芋たこなんきんの大阪市電3045はよく描けているが。

(とはいえ、すれ違う電車が同じ3045というのはどうしたものか)

まぁ、ドラマの道具としての鉄道は必ずしも正確である必要はないわけで、一般人はそこまで気にすることもなかろう。

正月の某佐賀のおばあちゃんドラマでの佐賀駅はとても幹線の駅には見えない作りだったし、長崎本線をC11の牽く列車が走っていたり、と突っ込みどころ満載であったし。

とはいえ、人々の記憶やあるいは生活の一部にこうやって鉄道が出てくるのはうれしいと思う。

この先20年30年たったとき、今の時代のドラマには鉄道はどんな形で出てくるのだろうか?

 

いつものように707Mの横を急行きたぐにが通過していく。

今日はスキー客の関係だろうか、12両の長編成。なかなか立派。

いまや数少なくなった1960年代を今に伝える現役の電車である。

老体にむち打ってといえば失礼だろうが、まだまだがんばってほしいと思う。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  18族のおばちゃんは走るんだ

 

1/14

福井の路面電車と街づくり講演会に行ってきた。

前振りが長すぎて、わだらんがいろいろ聞いてみたい点はほとんど話がなく、多少消化不良ではあるが、いい時間を持てたとは思う。

呼んでいただいた方に感謝である。

講演会が終わってから、高架になった福井駅をちょっと散策してみた。

以前の福井駅は天井の低いわりと見通しの効かないコンコースだったのだが、今はずいぶんとスマートになって、天井の高いきれいな駅になっていた。

とはいえ、むしろあまり特徴のない、どこにでもある駅になってしまったような。

以前は福井、金沢、高岡、富山とどこか似ていて、でもちょっとずつ違う雰囲気だったのだが、

今後は金沢に続いて、福井も富山も、標準的な高架駅になってしまうのだろうか。

少なくとも金沢は新幹線が開業すれば、いまの浜松や静岡にかなり似たイメージになりそうだ。

 

福井からは18:48発、敦賀ゆき368Mのお世話になる。475系の3連で、既に金沢からの客が多く、車内はかなり混んでいた。

とはいえ、幸いにも福井下車客がいてボックスを確保できた。

ありがたい。

まわりは既に乗っている乗客たちで騒々しい。

何しろ、わだらんの前にはおばちゃんが4人でお弁当を開いてがやがやしているし、後ろには女子大生と思われる4人組。

不思議なもので夫婦連れは静かなものだ。

南今庄を過ぎ、車掌が検札に来たが、ほとんどの客が18切符だったのにはやはり、と思いつつ一人苦笑、である。

 

先頭車に乗ったわだらんはそのまま敦賀でまだ先に走ればよいか、(一般的に敦賀での新快速は駅南端の4番発着なのだ)と安心していたのだが、

不幸にも368Mは5番着、長浜行き146Mは隣ホームの7番発。

階段に一番遠い扉から一目散に走り、何とか146Mに座席を確保。

新型521系の2両編成は既に多くの座席が埋まっていたが、続々と客が流れ込み、一気に立ち客多数になった。

その多くが北陸の土産袋を持っている。

18の時期だからだろうか、敦賀の土産物はあまり多くないように見える。

あるグループ客は某こんぶ館の大きな手提げを持っていたが、他にはあまり目だたなかった。

もともと18族は乗り換えを苦にはしないので、その意味では敦賀への新快速延長はあまり大きな効果を上げているわけではないようだ。

ある意味、敦賀は日常に普通切符で行くにはちょっと高いのかもしれない。

まぁ、この先じわじわとした経済効果がでてくればいいが。

 

長浜から新快速に乗り、米原を出ると、電車はいつもの走りになる。

高速で揺られながら、野洲に近づいた、と実感するわだらんであった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  雪のライトレールも見たい気がする

 

1/11

帰りがけにずいぶん日が長くなった、と思えるようになった。

大阪はあす1/12を境に日の出の時刻が少しずつ早くなるのだが、日の入りは12/10の16:47を過ぎると

既にどんどん遅くなっていき、あすの日の入りは17:06である。

冬至の日が日の入りの一番早い日と勘違いされている方がいるが、日の入りは12/1〜12/10あたりが一番早く、

過ぎるともう夕方はどんどん長くなっているのである。

季節の動きは早いものだ。

 

ところで、1/12は有給をもらっておでかけすることにした。

このメルマガを読んでいただいている福井市在住の方からのお誘いで土曜日に福井市内で路面電車に関する講演会を聞いてくることにした。

せっかくなので、富山ライトレールも、万葉線も、と欲を出して富山一泊。

この土日は日本海なべ祭りなる催しが高岡市内であるので、これも、と、あれこれ考えている。

ライトレールは一度城川原まで乗っているが、今回は越中中島駅近くの回転寿司にでも行ってみようか、と思う。

電車が元気な街は、街自体も元気な気がする、とはわだらんの色眼鏡か。

改正都市計画法の大型店出店規制がいよいよ動き出すようなのだが、その前に駆け込みが狙いなのか、

四日市を発祥とする某スーパーが近江大橋の草津側に出店を計画しているらしい。

野洲の旧中主町にもおなじような出店計画があって、某はとのマークの地元スーパーの牙城に勝負をかけてくるようだ。

選択の可能性が増えるのは地元民にとっていいことなのだろうと思うが、ただでさえ、中心部のはっきりしない、

湖南地区の核となるものは何なのか、と考えさせられる。

とはいえ、動きが多いのはありがたいことだと思う。

野洲駅前の遊休地には新しいマンションが建つことになったし、草津駅東側も開発計画がまとまったようで、

まだまだこの地域のマンションの供給はしばらく続いていくようだ。

これで12両の新快速が増えればとてもうれしいことなのだが。

 

今日は18:52の3512Mを逃し、19:00の3514Mの先頭に5人目で並ぶ。

ところが、列の先頭が車内に入るのをためらったすきに、もう1列側がとっとと車内に入っていき、結局わだらんは着席できず。

それでも狙った乗客は狙い通り新大阪で降り、そこから熟睡である。

草津手前で目が覚めるが、隣もまわりも人間が代わらない。

ここに座っているみなさんも遠いところから通勤されているのだなぁ、と同情してしまう。

まぁ、遠いから座席確保で並んでいるのだろうけど。

 

さて、明日は223系で敦賀までまず進む予定。

聞くところによると、「これからは京都大阪に通勤する時代です」との看板が敦賀駅にあるらしい。

さすがに敦賀に家を構える人間が多いとは思えないが、敦賀住民が京都大阪へ通うケースはあるかもしれない。

長浜のように新快速の延長で敦賀が活気づくのか、あるいは路面電車が街活性化の起爆剤になっているのか、

さらにはかつての岐阜の電車との再会も、と見たいものも、そして食べたいものも盛りだくさんの週末になりそうである。

良い天気であってほしいし、また雪もいいかな、と。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  笹持ってICOCA

 

1/10

大阪駅を歩いていると、笹を持った人間を複数見かけた。

今日は戎さんのお祭りなのだな、と改めて思う。

今年がよりいい年になればいいなぁ。

ここのところありがたいことに、わだらんの利用する電車は朝晩ともに極めて順調である。

今朝は柘植でポイント不転換があったり、湖西線で急病人があったり、と結構乱れたようなのだが、

わだらんはまったくそんな混乱にも巻き込まれず、ありがたい話である。

 

湖西線はこのところ風にやたらと弱く、この先まだまだ冬の季節風が吹き荒れる季節が続くのだが、心配になってくる。

雷鳥のお客もかわいそうだが、湖西線沿線の通勤客もまた大騒ぎなことだろう。

風に強い電車であればいうことはないのだが、何か抜本的な解決策はあるのだろうか?

もちろんトンネルにでもすれば解決なのだろうけれども。

本来、悪天候の時こそ安定輸送のできる鉄道のメリットが出るはずなのだが、このところはどうもそうでもないらしい。

JR北海道は、風雪の時には自家用車からの転移で乗客が誘致できるはずなのに、このところは列車抑止が多く、

負け組になってしまっているとのこと、なんともかわいそうな話だ。

戎さんの御利益があればいいのに。

とはいえ、風に強いはずの風車が突然倒壊するようなニュースを見ると列車に「風に負けるな」とも言いにくいなぁ、と思う。

 

大阪駅の御堂筋改札を18:40に抜ける。

急いで10番ホームに駆け上がり、既に入線中の3512Mに乗り込む。

幸いにも車端部ボックスの前向きが確保でき、発車前にして既に睡眠に入ってしまおうか、と。

わだらんが座ると同時に、隣から18:42のサンダーバードが発車していく。

今日は穏やかな天気なので、湖西線も安泰だろう。

かつて琵琶湖を行き交う船乗りから恐れられた比良おろし、過去何度も悲しい水難事故があったようだ。

船の難所は列車の難所でもあるらしい。

せめて鉄道を止めない程度に吹いてもらえないものかな。

安定輸送で商売繁盛、となりますように。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  タッチして行こか

 

1/8

まだ松の内だ、などと勝手に言い訳をつけて、親戚まわりに出かけた。

久しぶりに大阪市営地下鉄に乗ったり、市営バスに乗ったりと、ちょっと非日常。

ついでに此花区の某テーマパーク最寄り駅まで散歩のおまけ付き。

線路に平行する道を歩きながら、桜島線の電車を観察していると、晴れ着姿の女性を多数見かけた。

新成人は今日、無料でUSJに入れるおめでたい日である。

桜島線も多客を見込んでか、線内折り返しに8連の環状線電車を入れていた。

おかげで、せっかく線路横を歩いていたのに、USJ塗装の電車(6両編成なのだ)は見れずじまいだった。

 

ところで、今回、バスと地下鉄の乗り継ぎという場面に出くわした。

此花区内から市バスに乗り、梅田で御堂筋線に乗り換え。

市バス下車時に地下鉄乗り継ぎボタンを押してICOCAをタッチし、地下鉄の改札をICOCAで通ると、下車時に確かに100円引きで減額されていた。

一方地下鉄乗車後バスに乗り、下りる際にICOCAをタッチすると、バスも割引の100円で乗車できていた。

何もせずとも割引されている。

当たり前といえばそれまでだが、便利なものである。

ICカードのおかげで、御堂筋線梅田駅のような混雑する駅で券売機に並ぶ必要はないし、バス下車時に小銭の用意をしなくてもいいし、ありがたい。

昔は大きな駅は改札横に切符自販機が並んでいたものだったが、最近は切符の自販機の数もずいぶん減ったように思う。

というか、わだらん自身、最近近距離切符を買った記憶がないのだ。

JRのご利用状況発表も以前は切符の発売枚数だったのが、いつの間にか「ICOCA・Jスルー利用者も加えた」と注意書きが。

これも時代の流れか。

 

ところで、この正月の人出で気を吐いたのが三ノ宮だそうで、前年比8%増。

なんでも某芸能人カップルの影響で生田神社への初詣客が急増したそうで、なんともすごい経済効果である。

そんな影響でも鉄道利用が増えるのはありがたいことだな、と思う。

久しぶりに野洲へと戻る大阪20:45の新快速に乗ろうとすると、下車客や車内でカップルが目立った。

きっとそのうちのいくらかは、生田神社参拝と神戸散歩の帰りだったのだろう。

おそらくは定期外だろうが、ひょっとすると心理的にICOCAでぽいっと乗ってくれたのであろうか。

だとするとまんまとICOCAの戦略にはまった、まさにありがたいお客様、であるな。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  定期券がどこでもドアならいいのにな

 

1/5

2007年の初出勤の日がやってきた。

できることなら仕事などしたくないのだが、飯を食わねばならぬと我慢である。

大きな問題もなく一日は無事に終わり、帰りの時間になった。

仕事は鬱だが、帰宅はまぁまぁ楽しい、か。

もっとも座れれば、だが。

 

ところで、年賀状の出し残りがあって、また大阪中央郵便局に行くことに。

御堂筋北口から、延々と桜橋口の先まで行かねばならぬ。ちょっと鬱。

ところが、幸いなことにわだらんは「ICOCA定期券」を持っている。

そこで、北側通路を中央口まで歩き、一旦改札内に入り、さらにすぐ先のGARE改札を出る。

そうするとホームを歩くことも、狭い南側の通路を歩くこともなく、あっさりと桜橋口まで到達。

GAREの中は比較的歩きやすいのだ。

もっともこういう使い方が定期券の本来の使い方ではないので、あまり自慢すべき話ではないのだが。

ところが、である。中央口で改札を通った際、わだらんの直前に若い男性がICOCA定期で通っていた。

それ自体は珍しいことではない。が、驚いたのはその男性がわだらんの前を歩き、GARE改札を通って外へ出てしまったのだ。

まぁ、定期券でそのまま改札を通り抜けるのは誰でも気づくのだろうが、まさかわだらんと同じような使い方をする人間がいるとは驚いた。

あれあれ。

 

郵便局から戻り、桜橋口から改札を通って9番線へ。19:45の3520Mである。

正月休み明けで少しは列が短いかと甘い期待をしたが、だめだった。

3号車後ろで列に加わるものの、車内は混んでいて、結局京都まで立つことに。

草津を出発してすぐ、補助椅子ロック解除の音で、車掌の放送より前に、立っている客がばらばらと座ってしまう。

やっぱりいつもの通勤電車だ、と妙に納得。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  新春はバーゲンで明けるのか

 

1/4

幸いにもわだらんの職場は今日一日、まだ正月休みである。

貴重な平日休み、運用調査に大阪駅まで出かける。

草津までの911Mに野洲で乗り込み、守山まで。

さらに野洲8:33の新快速3425Mに乗って大阪へと向かう。

 

この3425Mという電車、なかなかよくできた電車で、草津で911Mを受け、大津では草津線からの5335Mを受け、彦根も近江八幡も、

さらには篠原も栗東も、瀬田も膳所も、と新快速の停まらない駅の客を同一ホームで受け、

京都大阪へとわずかな時間で運んでくれる、すぐれものである。

ラッシュ終わりの端境の時間、電車は短い8両で、いつも混む。

今日は幸いにも人が少な目で、守山からの乗車ではあるが、座席を確保でき、久しぶりにゆっくりと流れる景色を楽しんでみる。

しかし、せっかく草津で同一ホーム乗り換え可能な911Mだが、乗客のほとんどは、野洲で階段を上下して3425Mに乗り換える。

草津では座れないと知っている地元民の知恵、なのだな。

それだけ3425Mは人気があるわけだな、と改めて思う。

 

しかし、車内を見回して驚いた。

視界に入った車内吊り広告の多くがバーゲンの告知ポスターである。

地下街あり駅ビルあり、色使いも様々。

ちなみに正確に数えてみると、車内28枚のうち17枚がバーゲンのポスターだった。

ちなみに、うち4枚分は、某飲料会社ののれん型お茶吊り広告なので、さらに割合が高い。

なるほど、新春はバーゲンで始まるのか、と今頃発見した、わだらんの今年の初乗りであった。

 

というわけで、遅蒔きながら、みなさま謹賀新年でございます。

今年もわだらんの琵琶湖線雑記帳をどうぞよろしくお願いいたします。

みなさまがたにとって、よい年になりますよう。

 

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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください