このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
このピンクのラベルが目に鮮やかな焼酎は、西都市の中心部から西米良村の方向へ国道219号線をしばらく走った“
穂北地区
”で飲まれていた銘柄である。「“うなぎの入船”がある・・・」なんて言った方が分かり易いだろうか。東側には田園風景、西側は湯前へと続く山々を背負っている。スッとのびる国道に沿って蔵は建っていたと想像される。『想像される』といったのは、この“千代司”を造っていた“
黒木美徳醸造場
”は既に無いからである。蔵の跡地には個人経営のスーパーが建ち、元の蔵主の黒木さんはスーパーに隣接する小さな店舗で県内ナショナルブランドを売っている現在(嗚呼・・・)。
もう蔵を辞められて10年が経つのではないだろうか。
けんじ大佐
から「“
千代司
”って銘柄が西都にあったんよ。」ということを聞いて、終業後に夕焼けの西都市を探し回った。地元の穂北地区はもちろん、市中心部である妻地区、そして南のはずれである下三財、都於郡まで。かたっぱしに店に入ってはみるが、返ってくるのは「
そんげ焼酎あったねぇ。
」であるとか「
てげ美味かったが!!
」といった、もはや消滅銘柄探査に付き物となった台詞ばかり・・・。
そのような状況下、たまたま仕事で西米良村に上がる機会を得る。かつての国鉄妻線の終点である杉安を抜けたのだ。そして途中で“
酒
”の文字を看板に掲げた商店を車窓に見た。そこから事態は急転するのである。
店に入り、棚を物色する。上から下へ・・・。“霧島”や“正春”に混じって“房の露”や“白岳”などの人吉銘柄が並んでいる。すると、一番下に見慣れぬ瓶が置かれているのを発見した。“
千代司
”だ。しかも2本。そのうち1本はラベルがはがれ、肩ラベルで銘柄を確認できるような状態であった。全身に電気が走り、汗が出る。怒られるのも覚悟で2本を即購入したのであった。
後日、このラベルがはがれた1本を皆で飲む機会があった。瓶詰め時期を示す表記などは当然無いため、いつの頃の物なのか解らない。しかしながら相当の時間を経ていることが容易に想像された。芋焼酎の長期貯蔵物といえば、少々大人しくなりすぎて個性が消えてしまいがちである。芋焼酎が「新しいうちに飲め!!」なんて言われることに妙に納得してしまうのだが、元の酒質がしっかりしていたのであろうか。意外にも独特の膨らみをもって喉へと流れていったのであった。蔵が健在であった頃、“
千代司
”は美味い焼酎として西都の街を席巻したこともあったらしい。その証拠に西都農協の本所には、“千代司”の名前が入った大きな鏡がかけられているのだ。“
千代司
”を「
美味かった!!
」と言っていた酒屋の言はウソではなかった。
黒木さんに聞いたのだが、今もスーパーの駐車場の下にはかつて使っていたカメがそのまま埋まっているという。店の方にも時々、「
まだ残っちょらんね?
」と地元の方が買われに来るとか。
「
大学を卒業して銀行マンになった兄貴から両肩をしっかり掴まれて、『俺は無理だから、お前が代わりに継いでくれ!!』と言われた・・・。
」と昔話を話す黒木さんをまともに見ることができなかった。「
蔵をつぶしてしまって申し訳ない・・・。
」という声無き想いが伝わってきたから・・・。
黒木美徳醸造場 宮崎県西都市
(2003.11.29)
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