このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

浜ゆう
雲海酒造(株) 宮崎県東諸県郡高岡町

(2005.05.13)
宮崎市近辺でよく飲まれる焼酎『日向木挽』、『日向木挽 黒ラベル』の製造拠点が、大淀川沿いの高岡町下倉永633に座している“ 雲海酒造高岡工場 ”。

工場の外壁は何から何まで緑色一色なので、高岡の街からは何処にあるのかすぐに分かってしまうのだが、元は雲海酒造が地元の焼酎工場を吸収合併してできた“雲海酒造宮崎工場”といっていた。合併されたのは“浜ゆう酒造株式会
”。元は『宮の鶴』という焼酎を造っていた“長友酒造株式会社”という。

昭和59年に雲海酒造の生産拠点となってから(もしかしたら前身の“浜ゆう酒造時代からの主力銘柄だったのかもしれません)、平成3年に『日向木挽』に役割をバトンタッチするまで、雲海酒造の主力銘柄の芋焼酎として君臨していたのがこの『浜ゆう』だ。

ラベルには、最強の宮崎三点セット(“堀切峠のフェニックス”、“鬼の洗濯岩”、“浜木綿の花”)と空との境界が分からないほど青い日向灘の風景が使用されている。キャッチフレーズも『ふれあいの浜ゆう』と宮崎の土地柄を表すようで非常にほんわかだ。『宮崎名産』というロゴには宮崎焼酎のトップ企業としてのプライドすら感じさせるのだった。

宮崎市近郊はもちろん、『浜ゆう』の流通範囲はとても広かったのだろう。宮崎駅前の商店街のアーケードにもずらりと看板が吊ってあるし、未だに水色の看板を掲げている酒屋だってある。そういえば、いつか入った飲み屋さんで出されたポットには『浜ゆう』のロゴが入れてあった。そのような状況であったから、私にとっての宮崎に対してのイメージはといえば小さい頃から『浜ゆう』の水色の看板であった。それが大学に入って焼酎を飲むようになるまで続いたのだが、既に過去の焼酎になっているということを知って酷くショックを受けたことがある。

この瓶は高鍋町の商店にあった物だ。棚の最下段の一番奥にあったこともあり、ラベルの破損も全くない美しい状態で手に入れることが出来た。詰め口は昭和61年。レジを打ってくれたおばちゃんが「まだ作っているのかな?」などという懐かしいような不思議そうな顔をされていたのが印象深かった。古い焼酎だからと1000円で譲ってくれる。

ちなみにこの『浜ゆう』からは『芋焼酎ヌーボー』等の色々なヴァリエーションが派生している。その中でも初めて仕込みに使用した麹をラベルにアピールしたと思われる『黒麹浜ゆう』、『白麹浜ゆう』がある。これらの商品は酒屋店頭に並んでいる姿を時折見かける。そして在庫も結構な数があったりする場合が多いのだ。やはり大きな企業の商品だからだろうか

折に触れてそれら派生品にもスポットを当てていこうと思う。
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