このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|
【(有)渡邊酒造場編】
日南〜北郷の広域農道をけんじ大佐の運転するTOYOTAスプリンターは舐めるように走るのである。フルブレーキング、そしてガツンとアクセルを踏んでカーブを抜けていく・・・。WRCはcitroenの『若きターマックマイスター』セバスチャン・ローブを思わせるその走りは後続する私とマツユカ女史の運転する車をグイグイ引き離していく。同乗していた楠美部長たちは大佐にしびれただろうが、ついていく方は命がけ。おかげでしばらくミニカのアイドリングが不調であった。
やや薄暗くなってきたところで田野町に到着した。目の前に渡邊酒造場のれんが煙突が迫ってくる。
さすが鰐塚山の麓。田野は寒いのです。普段海端の宮崎市にいる物だから体が呆けている証拠。
大佐が「こんにちは!!」と声をかけると笑顔で渡邊幸一朗専務が迎えてくださった。一同事務所に通され挨拶を済ませる。幸一朗専務の隣に大佐がズシンと座った。どちらが蔵元か分からないほどの偉容である。
「実際に見てもらった方がわかりやすいですね。」
と、しばし雑談の後、蔵の裏側を案内していただく。
そして大佐は・・・。
薄暮の敷地内を製麹機から見せていただく。そのときの詳しい状況は、こちら九州焼酎探検隊の『
萬年歳時記
』も参照していただきたい。
外に出て蒸留粕の処理についてレクチャーを受ける。焼酎粕の処分については宮崎県の場合、各蔵元の責任となっているため、中小蔵は非常に辛いとのこと。
手前のタンクが焼酎廃液である。
蒸留器、対流するもろみタンクと歩を進める。女性ばかり7人もぞろぞろするものだから、薄暗い蔵の中なのに暖色系の電灯がともったようなのである。まさにウハウハ・・・。
「初めてうちに来た取材がボイラーの業界誌だったんですよ。」
産業遺産ともいえる“コルニッシュボイラー”を前に専務が説明。皆、まだかすかに温かい煙突に手を当てている。するとけんじ大佐は何を思ったかボイラーに手を触れた。
「熱っ!!」
「あたりまえじゃないっすか!!」と専務の軽いつっこみが入る。
仕込みタンクが並ぶ一番奥の部屋へ。「これが昨日仕込んだので、それが2日前・・・。」と専務が説明。男前ぶりを発揮されていた。うらやましぃ・・・。画像は手ぶれのため省いてしまったが、天井を見上げれば梁や柱に碍子が打ってあって、電気の配線がびっちり張ってあった。ボイラーなどもそうだけど、こういったところに歴史を感じずにいられないのだ。
けんじ大佐はといえば酒母タンクに顔をつっこみ、においをかいではむせている。
蒸留したての“旭 萬年”を飲ませていただいた(といっても私を始めドライバーは香りだけ。しかしその甘い香りだけでも製品への期待を抱かずにいられないのだった!)。画像は試飲する楠美部長だ。
再度事務所で質問タイムとなるが、私は女将さんと雑談していたこともあり中で何が起こったのかは知らない。笑い声が聞こえていたので、非常に良い雰囲気であったとは容易に想像がつくが。
最後、社長と専務を交えての記念撮影となった。けんじ大佐は土間に積んであった大根を両手に持ってファインダーの中に収まっていた。
ここで解散。みょうが屋での夜の部へと続く。
みょうが屋にて交流会!?
夜は日向の国しょちくれの殿堂“みょうが屋”での交流会となった。私は車を置くために一端家に帰ったため、ちょっと遅れての参加となる。店に着くと中から大きな笑い声が聞こえてきた。
参加者は本日の主役である“芋っ子倶楽部”楠美部長以下4名、マツユカ女史とNさん、けんじ大佐、幸一朗専務、んで私の9名。生ホルモン、タン・・・と次々に皿に盛られた牛肉が出てくる。サーロインが出てきた時点でマスターに聞きに行ったが、「本日の肉は尾崎牧場のA-5等級8番!!」とのこと。
ここで畜産講座となるが、A-5のアルファベットの部分。「A」というのは枝肉の歩留等級で決定されるのだが、「A」が72以上、「B」が69以上72未満、「C」が69未満で区別される。和牛の場合、そのほとんどがAかB等級となるが、ここでは当然「A」が一番最良となる。
続いて数字の部分だ。これは脂肪交雑等級を表しており、筋間脂肪の入り方で12段階に分けられるBMSナンバーによるものである。「5等級」となるのが脂肪交雑が多く入っているBMS12〜8、続いて「4等級」がBMS7〜5、「3等級」がBMS4〜3、「2等級」が2、「1等級」が1となる。BMSが2桁以上の肉は食べるのに気合いが要するくらい脂がのっているから、食べるのには7番から9番くらいの等級が向いているというのはとある肥育農家の弁。
ここでみょうが屋のマスターが言っている「A−5の8番」というのは上から5番目と格付けされた肉ということになるわけですね。
みょうが屋ではコースのラストを飾る“にんにく焼き飯”を平らげた後もしばらく騒ぎ、他のお客さんに迷惑をかけたことは言うまでもない。“川越”や“萬年”、粕取り焼酎などをグラスに大いに盛り上がったのであった。上画像のけんじ大佐の右手人差し指が全てを語っているといっても過言でないのだ(何のこっちゃ・・・)。
終了間際にだんだんとまぶたが重くなってくる・・・。専務の
「ごいちゃん、寝てた?」
という声でハッと気が付く。様ぁ無い・・・。もうちょっとアルコールに強ければ楽しいお話を〜ということもできたかも知れないが(泣)。
ここで丁度良い頃合いになったためお開き。皆は2次会にとニチタチへと消えていったのであった。この時点で私のウハウハ道中は終わったのである。
聞けば午前3時頃まで飲み続けた人も一部いたというから驚きだ。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|