このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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2人の講演が終了したが、間髪を入れずに司会の演者紹介が始まる。南九州大学で教鞭をとられる小川喜八郎先生の登場である。
小川先生は平成14年まで宮崎大学の農学部に在籍されており、私自身講義を受けた経験があっても良さそうなのだが、実は無い(爆)。小川先生が菌学などの微生物分野が専門であるのに対して、私は畜産にどっぷり浸かっていたためだ。微生物ねぇ・・・。畜産であれば牛のルーメンプロトゾアや黄色ブドウ球菌などの乳牛の乳房炎原因菌くらいしか思いつかない。このように接点はなかったけれども、焼酎について書いたいくつかの本を地元の郷土出版社から出されていたから、名前だけは存じ上げていたのだ(でも、この本。読んでません。済みませ〜ん)。
だがだが、講演の内容が焼酎固有の魅力やルーツ、今後の展望という内容であったので、非常に期待していたのである。
○小川喜八郎氏・・・「焼酎の第3次ブームの背景」
まず、小川先生の焼酎観についての紹介があった。焼酎そのものが地域の歴史や文化性を色濃く反映した地場産業の雄とも言える存在であること。これはすなわち地域や郷土の精神の拠り所的なものであるという。
ではその大本となる部分についてだが、1515年に焼酎(=泡盛)の製造法が薩摩国に伝来したことにより、海の幸、山の幸といった食生活に良くなじむという蒸留酒の特性が「南九州古来の照葉樹林文化と海路からもたらされた黒潮文化のいいあんべぇなミックス」に大きく作用している。その後、新大陸の作物である甘藷を琉球国から前田利右衛門が山川に持ち込んだことで、それまで米などの穀物中心であった南九州の焼酎文化に一つの変化が現れた。これは、そこにある物を用いて焼酎を造った当時の人々の勝利と言っても良いだろうか。シラス台地という生産性の低い火山灰土壌にサツマイモが十分に耐えうる作物であったこともあって、爆発的に広まる。・・・そして今日の芋焼酎主導の焼酎ブームが花開く。
「焼酎はどこから来たのか?」・・・小川先生のライフワークであるが、これまでの研究によって琉球経由で入ってきたことが今では有力な説となっているらしい。問題は琉球以前である。有史以前にメソポタミアで産声を上げた蒸留酒がどのように伝播したか。東南アジアを経て、海の道を伝って琉球へともたらされたのか?はたまた陸路を経由して福建省付近から「エイやっ!!」と琉球へ入っていったのか。これを解明していくことが研究者のこれからの仕事なのだそうだ。
第3次焼酎ブームの背景。これについては散々紹介され尽くされているが、飲み方を選ばない点、そして飲むシーンが限定されない点、健康志向、どんな料理にも合わせられる点・・・こういったことが今の焼酎ブームを支えている。小川先生はもう一点、冒頭の「南九州の文化を代弁する」ということを付け加えておられた。これについてはある商品の“ストーリー”の組み立て易さに繋がっていると講演を聴きながら思った。原料、麹や酵母の違いによる風味の差、地域、気象条件。ほかにも蒸留方法や貯蔵期間、濾過の程度やブレンド・・・。いろいろな物がごっちゃまぜになった嗜好品に皆さん酔っているのだねぇ・・・と。断っておくが、私自身もこれに酔っちゃっています。ブームによって地元の認知が高まるのはよい事だと思うからです。
ただ、ブームが招く悪影響について先生は話された。周辺の大消費地に焼酎が吸い上げられてしまって、地元の人が飲みたい銘柄が消費の中心地となるべき地元にない。すなわち消費の“ドーナツ化現象”についてである。小川先生はこれを「地域の風土や文化、生活を大切にすべき」と作り手の側に投げかけたのだが、これには反論したい。鹿児島や宮崎の大手はどうか知りませんよ。宮崎県の小蔵がいくら良い焼酎を造っても地元の酒屋や飲み手が無視してきた過去があって、蔵の存続のために県外に販路を求めなければならなかったことは忘れちゃいけないと思うのです。責任は必ずしも作り手だけにある物ではなく、売り手、飲み手にも当然ながら担うところはあります。3方がキチンと地元の酒を捉えたときこそ、本当の意味での地産地消とかに繋がると思ったのですが、いかがですか?
まあそんなこんなで無事にセミナーを終え、職場に戻ったのでした。それでは、牛の顔を見に行きましょうかねぇ・・・。
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