夜7時から木城町での仕事が入った。1時間くらい人と会うような仕事なのであるが、終業後、現地までの時間をさっ引いても1時間ほどあるというのは嬉しい物である。財布の中身は寂しいけれども、やっぱりというか確信的というか・・・、酒屋さん巡りとなったのでした。
これまで木城町の酒屋については石河内など山間部の店はいくつか覗いたことがある。棚に並んでいたのは宮崎県一般民大衆酒である“霧島”と“隣町”高鍋町の“たちばな”が多かった。一部店舗には鹿児島の銘柄や大分の金ぴかラベルの麦焼酎が並んでいるのだが、これまで覗いたほとんどの酒屋に必ずと言っても良いほどこの2つの銘柄は置かれている。
小丸川の沈下橋を渡り、早期水稲と飼料用稲の葉が揺れる田園地帯を走る。家の塀には“橘(かつての表記は漢字であった)”の『交通安全』看板がかけられている。色あせてかろうじて文字を読むことができるもの、まだ新しい(?)もの。ずっとデザインは同じなのだろうか・・・。
町役場の近くにある酒屋に入った。看板は“霧島”だ。店には近所のおっちゃんがビールを買いに来ている。まだ泥の付いた作業着姿であったから、農作業の帰りなのだろう。
酒を買うわけには行かないけれども、とりあえず狭い店内の棚をあさった。“霧島”、“たちばな”、そして“寶星☆焼酎”の黄金3セット。冷蔵棚からお茶のペットボトルを取り、レジで支払いを済ませながら大将といくつか言葉を交わす。
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私:「これ、お願いしますねぇ。」
大将:「150円ね。ありがとう。」
私:「ちょっと聞きますけんど、木城は昔から“たちばな”なんですよね?」
大将:「少し前まではそれこそ“たちばな”一色だったね。でも何年か前に
霧島酒造が徹底した売り込みをしたことがあってそれからは霧島
ばっかり飲まれるようになったなぁ。」
私:「そうやっですかぁ?確かに“霧島”だけしか扱わないってお店もありま
したもんね。そういえば木城の町の中心部の酒屋に球磨の“ごくらく”
が置いてあったんですが、山向こうが球磨というような地理的条件で
昔から飲まれるというような事はなかったとですかね?」
大将:「いーや、昔からここらへんは芋焼酎しか飲まんよ。都農じゃ昔は
清酒やら飲んどったって聞いたことがあるけどね。多分米焼酎が
置いてあるって言うのは小丸川のダム工事の作業員のニーズが
あるっちゃないと?」
私:「今は石河内のほうに尾鈴山蒸留所がありますけんど、昔はどのよ
うな銘柄が飲まれていたんですか?木城には長いこと焼酎の蒸
留元が無いと聞いたことがありますので。」
大将:「さっきも言ったけど、昔は“たちばな”、今は“霧島”かな。だんだ
んと“たちばな”が飲まれんごとなってきよるよ。飲み手が変化し
てる事が大きいかな。今の子はみんな“霧島”で育ってるけんね。
“たちばな”よりもにおいが軽いっていうのが大きいごとある。蔵元
はそれこそ何十年も無いねぇ・・・。」
私:「へぇ。どこも一緒ですね。」
大将:「そういえば、昔はみんなどぶろく造っていたね。宮崎市から安い
値段の物も入ってきていたけど、川南までは今でも畑ばっかりや
ろ?カライモを使ってそれぞれの家で酒を造りよったっちゃないか
な。都農から北側では水田があるから米のどぶろくが一般的やっ
たみたい(今でも山間部では米を使ってどぶろくを造り、蒸留して
飲む人もいるらしい)。大昔は知らんけど、そんな具合だったから
蔵元が無かったっちゃないやろうか?」
私:「大きな集落には1つ位あるかな・・・と思っていたとですけどね。そ
れにしても“霧島”が強いですか?」
大将:「最近は売れてるやらであんまり入ってこんやろ?“日向木挽”
も入れてみたけどいまいち売れんごとある。その“木挽”もだん
だん入ってこんごとなってきちょるから考え物やね。鹿児島の
銘柄入れても多分みんな飲まんやろうね。」 |
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ここでタイムアップ。時間が来てしまった。お礼を言って店を出たが、貴重な時間であったと思う。
酒屋は古くから集落、街並みを見てきたから、大将なんかにお話を伺うとドキッとするような知識を得られることが少なくない。
それにしてもどぶろくを自家で蒸留した焼酎。どんな風味がするのだろうか。 |
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