このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
吉野美文酒造場 宮崎県西都市
(2004.08.30)
この“
まが玉
”を造っていた“
吉野美文酒造場
”は西都市の中心部、三宅地区にある蔵であった。かつての国鉄妻駅から西側へ。杉の林の坂を上りきった辺り。住宅地の中にひっそりと有ったはずである。有ったはずと言うのはこの“吉野美文酒造場”が既に無いからだ。西都市で酒販店を中心に行った聞き取りでは、廃業は平成9年前後。その理由は後継者不足だと聞いた。
酒屋や西都市に昔から住む人に話を聞くことができたが、この蔵の焼酎の印象としてはあまり強い物は無いようだ。特段、美味かったという話も聞かないし、その逆もない。「
懐かしぃ。そげな焼酎があったねぇ・・・。
」とちょっと懐かしそうな顔をされる程度。これから推察するに、強烈なファンの獲得はできなかったが、地域の酒、生活酒として地味ながらも(蔵周辺の集落を中心に)愛されていいたのだろう。しかし、西都市の中心部の飲み屋では、この“まが玉”のお湯割りコップが残っていたりする。西都市にとって結構重要な位置にある銘柄だったのでは?という気にもなってくる。
今の職場に赴任してからすぐ、この在庫分を探し回った。その過程でこの蔵の別の銘柄“
妻宝
”を発掘することができたが、なかなかこの“まが玉”を見つけることができなかった。ある日、新富町との町境に近い廃業しているのか?という酒屋でやっと目にすることができた。まが玉といえば、日本史の資料集などでガラス製のものを見ていたこともあり、その古代ガラスのイメージからもっと鮮やかな色合いを想像していたのだが、西都市という古代国家の中心地らしい銘を付けられたそのラベルは、祭祀で舞う古代の女性を図案化した黄土色の地味な物であった。
先日、終業後に蔵の跡に行ってみることとした。三宅の交差点から杉の林の坂を上っていく。中腹には“まが玉”の文字が入った看板が蔵の廃業後も建っている。もうだいぶん色あせており、看板の隅は緑色になっていた。
そこからしばらく住宅地を進むが、雨戸が閉めてある閉店した“商店様”の建物があると思う。そこが“吉野美文酒造場”である。裏手には倉庫、作業場のような建物も残っており、蔵の施設は今もそのまま残っているのだろうか。“日向焼酎の権威”
石原けんじ大佐先生
のご指摘によれば、この2、3年前まで酒販業を営まれたいたそうで、今は自販機がポツンと置かれているだけだ。もう少し訪問が早ければと悔やまれてならない。
建物の合間から見えるかつての作業場と思われる建物は、経年によりくずれている部分もあった。施設のように、この蔵の銘柄の記憶も風化していくのだろうか。
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