このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

だって、 欲しかったんだもの・・・・。

(名)宇都野商店 鹿児島県出水市

(2002年3月購入)
都の露

この焼酎を購入したのは3月である。

その前の年に宇都野商店さんは造りを辞めたのだった。訪ねた動機は「もしかしたら都の露が買えるかも・・・。」といった極めて不純なもの。だらだらと3号線を北上し、出水市内へ入る

宇都野商店さんはJR出水駅の近く、商店街の中にある。お店の前に路駐するわけにもいかず、近くのショッピングセンターに車を停めて歩いた。

販売所の前には“おじいちゃん”がぼーっと立っている。
何をするわけでもなく、じっと通りを走る車を見ている。その時には別に気にも留めず店の中に入ったのだった。

店の中は薄暗い。棚には昔の通い徳利や「月桂冠」の瓶が飾られている。レジの処で2人の女性が雑談の最中であった。年輩の方が蔵の女将さんであろうか。もう一人は解らない

「都の露をいただきたんですが。」

声を掛けると、隅っこにおいてあったP箱から瓶を出してくれる。在庫がある分だけ蔵で販売をしてくれるらしかった。代金を支払う際に話を伺ったのだが、ずっと蔵の近隣相手に商売をされていたとのこと。しかし、北薩系の大手銘柄の消費が伸びるにつれ、販売が維持できなくなり仕方なく造りを諦めたという。

「地元の方も買いに来てくれますから。でもやっぱり、造りは続けたかったですね。」と言う言葉が印象的であった。

そうして話している間にも「焼酎をちょうだい。」と近所の方がお店にやってきて、一升瓶をかかえて帰っていく。お客さんに声を掛けながら「うちの焼酎じゃなきゃダメっていう人もいるんですよ。」話してくれた。


実際にそのような光景を目の前にするだけでも、良い焼酎を造られていた蔵元であったことがわかる。本当に地元に愛されていた焼酎なのだろう。
なんだかどうしようもない気持ちが湧いてきた。

しばらく雑談をしていると、先程の自販機の前のおじいちゃんがお店に入ってきた。私のことを少し気にしながら、しかし何も言わずトボトボとお店の奥へ消えていく。
どうやら蔵の大将であったようだ。


きりが良かったので、そこで蔵を後にすることにした。

車を運転しながら「あのとき、あの人は何で蔵の前に立っていたのだろう・・・。」と考える。

こうして「都の露」を購入したものの、なんだか惜しくなってしまい開封できないでいた。もう一本欲しいなと思っていたところ、先日鹿児島の祖母の家に帰省した際、宇都野商店さんに再訪する機会を得た。

お店に入り声を掛ける。すると、奥から前に応対していただいた女性が小走りで出て来てくれた。挨拶を済ますと、どうやら私のことを覚えていらっしゃったようだ。

すると申し訳なさそうに、「もう在庫の方は無くなったんですよ。」とおっしゃった。聞けば、近所の方が買われていったのはもちろん、関東など遠方からも問い合わせがあったという。「インターネットで紹介されてですねぇ・・・。」と話してくれた。

インターネット経由でどれほどの瓶が出ていったのだろうか。その分、地元の人は買えなかっただろう・・・。ネットが蔵とその地元を食い物にしたのではないだろうか・・・。話を聞きながら色々と考える。

ふと棚に目をやるとビニール袋に入ったカップ焼酎が置いてあった。中身を見せていただいたのだが、自社の焼酎を駆逐した北薩系の銘柄だ。床に置いてあったP箱の中の1升瓶も銘柄は同じ。

「この銘柄をどんな気持ちで置いているのだろう・・・。」

ちらっと頭の中をかすめたが、聞くことはよした。

しばらくレジの所で話をしていた。
すると奥の方から女の子の手を引いて蔵の大将が出てきた。にこにこと穏やかな顔だ。

「焼酎を買いにきてくれたんよ。」と女性から私のことを聞き、軽く会釈をされる。以前とあまりに感じが違うことに少々びっくりしてしまった。

今思うと、大将。3月に伺った際にはまだ造りを辞められたことをしっかり整理できていなかったのではないだろうか。やるせなくて、もやもやとして。そのような気持ちで道路をじーっと見ていたのではないだろうか。

あのころは何だか話しかけづらい雰囲気があったのだ。だが、今回は柔和な感じであった。時がたち、何かしらの区切りをつけられたのであろう。


もう、「都の露」は過去の焼酎なのである。もう造られる事もないし、買うこともできない。何だか、大将の穏やかな顔がそれを強く表している気がした。

End
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(2002.11.30)

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