このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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(10.12.18)

2年前、県内唯一の麦焼酎専業蔵“
柳田酒造
”さんが宮崎県で古くから栽培され、そして現在は幻となった“ミヤザキハダカ”というハダカムギを復活させたことを紹介させていただいたことがある。
ミヤザキハダカとはどのようなハダカムギなのか。おさらいの意味も含めて紹介させていただくと、上記の通り、宮崎県で古くから栽培されていた在来品種である。日本という国は今も昔も農業国であるから、それぞれの地域・気候に適した農業作物品種というのが伝えられてきている。最近脚光を浴びている伝統野菜などもそうであるし、酒の世界だってそのような米、麦、からいも・・・を活用するために試行錯誤がされている最中だと思う。
このような伝統、在来の品種を掘り下げる場合、大抵が存在自体が消滅もしくはその一歩手前といった大きな壁にぶち当たる。ミヤザキハダカ自体も、自家消費のための味噌づくりの風景が家庭より消えるにつれて、その栽培面積を減らしてきた。また、実を取った後の麦わらは家畜の飼料として利用されてきたと想像されるが、それも栽培管理が容易で安定的な収量が魅力の飼料作物にその座を追われただろう。その様にして、ミヤザキハダカは県内から姿を消し、県の農業試験場に試験用の種子が人知れず保存されていたのだった。
その種子を柳田酒造さんが譲り受ける。これは柳田正さんの「情熱」があってこそだと思う。宮崎ではほとんど麦が栽培されていない。焼酎原料用の麦を求めようにも豪州や北部九州などの国産麦しか選択肢が無い中で、なんとか宮崎産の麦を使って焼酎を造りたい・・・という情熱だ。蔵が目指すのは首尾一貫した“宮崎産”。とてつもない取り組みである。
県の北諸県農業改良普及センターや三股町の
(有)宮崎上水園
から栽培技術面でのバックアップを受け、2007年晩秋に畑に播かれた麦の種は翌年5月に麦秋の季節を迎えた。わずか10a程度の栽培面積であったが、古いハダカムギは復活を迎えたのだ。
その後はどうなったのだ?と思われた方もいらっしゃると思う。
柳田酒造では地元の北諸県地域で栽培を受けてくれる農家を探していたのだが、永く麦の栽培が途絶えていたことに因る不安感からだろうか。2008年の播種は諦めざる得なかった。その後も栽培の委託先を探し続けていたのであったが、2009年。霧島連山の裾野に広がる高原町の“集落営農法人はなどう”と出会う。
ちなみに、集落営農というのは「集落で話し合って、農業生産の行程の全部または一部を共同で取り組む組織」の事を指す。作業だけではない。集落の農地利用を自分たちで話し合って、作業の集約化が可能となるように利用調整もする。
また、はなどうでは自分たちが栽培した農作物の加工・販売にも意欲的で、柳田酒造とミヤザキハダカの栽培で連携する以前から麦味噌の商品化にも取り組んできた。その他、町の商工会にも加入し、生産する小麦(当然小麦粉です)をうどん、パン、ピザ・・・と町内、近隣にある業者に供給している。そのような連携から生まれたプロダクツ、組合員の生産する農作物は昨年7月にオープンした“杜の穂倉”という販売所で販売されている。
その音頭を取っているのが、top画像で柳田酒造の干支焼酎を手にしている黒木親幸組合長だ。集落をまとめるというのは非常に大きなエネルギーが必要なはずである。実際に話してみると非常にパワフル。その人となりに思わず納得してしまう。
上ではなどうで生産する麦について触れたのだが、用途に応じて専用の品種を栽培するなど、麦の栽培についてこれほど実績のある農業者はいない。この集落営農法人との出会いによって、ミヤザキハダカを用いた焼酎の実現が確実となったのだ。 
2009年に播種した面積は1.2haである。一気に栽培面積は6倍となった。
地元民放にも話題が取り上げられたり・・・と注目を浴びた取り組みであったが、春先の不安定な気候が収量に影響したと聞いている。それでも今年の6月上旬に無事収穫を迎える事ができたそうだ。
収穫されたミヤザキハダカの実は乾燥、精麦・・・といった行程を経て、8月末よりいよいよ仕込みという段階に入る。
そして、ついにその瓶がお目見えとなったのである。本来ならば十分な貯蔵期間を経ての商品化を蔵として選択するはずなのだが、英断により今年の干支焼酎のバリエーションに加えられたのである。
その英断とは、ミヤザキハダカを生産した集落営農法人はなどうへの感謝の気持ち・・・とのこと。先に触れたとおり、気候に因る収量の影響を受けたためにミヤザキハダカを全量使用するわけにはいかなかったそうだ。瓶の裏ラベルには『麹麦の全量、掛け麦の一部にミヤザキハダカを使用・・・』といった文言が明記されているが、私個人としてはそれで良いと思う。はなどうとの連携は最初の一歩を踏み出したばかりだ。いきなり大成功では(言い方が非常に悪いけれども)面白くない。双方、成功に至るまでに苦労と努力の積み重ねというのはあるはずだし、目指す将来につづられる物語もあっても良いと思う。
“土地との関わり”の醸成、深まる“信頼関係”・・・。蔵にとってもメリットは大きいし、生産を担う集落にとっても“やりがい”と“地域の活性”に寄与する。
そういう蔵の気持ちが込められた商品のため、流通する数は一升瓶で100本程度と非常に少ない。半世紀ぶりに県が開発した“平成宮崎酵母”を使用するなど、柳田酒造が最終的に目指すオール宮崎産を意識した造りとなっている。ちなみに、瓶の肩に貼られたラベルの“ミヤザキハダカ”という文字は高原町の日高町長によるもの。この取り組みを地元が全面的にバックアップしている何よりの証拠である。
11月25日。
つい先頃の事ではあるが、高原町の農事組合法人はなどうは2年目の取り組みとなる“ミヤザキハダカ”の種播きを行った。栽培面積は昨年と同様の1.2haだが、はなどうは前作の反省を踏まえてその栽培に臨む。
高原町は霧島連山の裾野に広がる風光明媚な山村だ。清冽な清水、そして澄み切った空気・・・。古くは神武天皇が幼少の頃を過ごしたという狭野原の伝説が語り継がれる神話の里である。その様な土地で“ミヤザキハダカ”は復活を迎えたのだ。
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