このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

本土最南端のPB
正月に佐多岬に行ったことは 既に 書いた。だが、その佐多岬のある佐多町にかつて焼酎蔵があったということを知っている人は少ないだろう。佐多岬へと至る国道269号。その途中の伊座敷という港町に煙突が立っている。

天気は今にも雨が降りそうなくらい真っ暗であったが、煙突の存在感と『酒造』と今も書かれた看板がどうしても気になって、車を停めてしまった。今は地元相手の酒屋商売をやっています・・・といった風情の店だ。、青い切り抜き文字で『佐多酒造』とあった。
「ごめんください。」と中に入ったが、棚には大隅半島根占以南で一大勢力を築く“白玉の露”の姿が見えない。代わりに並んでいたのは「小鹿酒造協業組合」の銘柄である。

同組合の実験的蔵である「
神川酒造」の“照葉樹林”もある。
奥から女将さんが出てきた。2、3言葉を交わしたが、女将さんの背後の棚に見慣れないラベルの黒瓶が置いてあるのに気づく。それがこの“佐多岬”だ。

見慣れないラベルですけんど、ここのお店のPBですか?」と訪ねる。すると「そうなんですよ。」との回答。「瓶に新しいラベルを貼っただけ。中は普通の“小鹿”ですよ〜。」と笑っていらっしゃった。

なんで店の棚に“小鹿”しかないのか尋ねたが、自分の会社の焼酎だからだという。聞けば昭和46年に造りを協業化して“小鹿”となった時点で造りを辞めたそうだ。旦那さん(=大将)が今の“小鹿”の理事長を勤めているというから仰天してしまった。店の棚が“小鹿一色”であるのも極めて納得してしまった。「昼はずーっと吾平の方に行ってて、めったに家にいることがないですよ。」と話してくれた。

協業化によって“小鹿”と変わる以前は“
佐多岬”という銘柄を造る蔵元であった。造りを辞めたしばらくたった後に、近所のおっちゃんが「お前んとこの焼酎ぞ!!」と開封した瓶(当然中身は入っていました)を持ってきたそうだが、こういうエピソードからも地元ではよく飲まれた銘柄であったことが伺い知れる。
協業化の時、“気分を切り替えよう!!”って、お父さんが前の銘柄のものを全く残さんやったけど。

そういうことを聞きながら店の中を見回すと古い“小鹿”の製品が棚に飾られていた。
なんだか“小鹿酒造協同組合”の歴史を見ているようで非常に面白かったのだった。
店の裏にある煙突の話になった。

以前は蔵の方もそのまんま残っとったんやけど、昭和51年の台風の晩だったかねぇ・・・。あのころ流行っていた放火で焼けてしまったんですよ。そのとき残ったのが道路沿いにある倉庫とあの煙突だけ。焼酎蔵だった頃のもんはなーんにも残っちょらんけど、あの煙突だけはずーっと残していきたいと思っちょっですよ。シンボルですからね。

佐多岬”を1本お願いしたら、そう言って袋に入れてくれた。

今はこの焼酎を売り出そうと思っているんですよ。

佐多岬”。黒瓶に鮮やかなハイビスカスの花が嬉しいラベルだ。“手作り”とか“太陽と緑の国”という観光キャッチフレーズが似合うデザインである。
女将さん。
“佐多岬”を手に。
店を出て改めて煙突を見上げた。コンクリートの風化が見られるようになってきたということだが、すっと伸びる煙突である。

倉庫はプランターに囲まれて、風景にとけ込んでいた。
さて、この“佐多岬”であるが、価格の方は4合瓶で1,000円となっている。甘く、奥行きのある味わいだ。

2月一杯で本土最南端の佐多岬へ続く“佐多岬ロードパーク”が営業休止となるが、佐多岬訪問と併せてこの“
本土最南端のPB”を買い求めてみてはいかがだろうか。
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(04.01.24)

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