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![]() | ![]() 柳田酒造(名) 宮崎県都城市 (2014.04.05) |
少し前に都城市に住んでいたことがあって、当時の借家の近くには、桜の名所として宮崎県内でもよく知られていた母智丘(もちお)公園がありました。 公園の入り口から延々・・・2km続くソメイヨシノの桜並木。公園全体にはソメイヨシノだけでなく、ヤマザクラやヤエザクラなど2,600本の桜の木が植えられているとのことですが、ソメイヨシノが満開を迎える頃になると、ちょうどこの公園のある丘だけが淡い桃色で風景の中に浮かび上がるように映ります。調べてみると、1990年には日本さくらの会による「日本さくら名所100選」にも選ばれているそうですね。 満開となるちょうどこのくらいの時期には、現地にて「都城もちお桜まつり」が開催されます。普段は地元の車が通行することができるこの桜並木ですが、この祭の期間中、桜の花がピークを迎える前後には通行止めとなり、歩行者天国となります。「桜のトンネル」ってな形容がそのまま当てはまる中、ゆっくりと桜の花を愛でることができ、夜間はライトアップされる。なにかの本かネットかでその夜桜の風景を見たことがありましたが、行き交う人に提灯の明かり、そしてそれらに照らされる霞の様な桜の花は、まさに幽玄を感じさせる光景でした。 (実は、数年前、この母智丘公園の近くに住んでいたことがあったのですが、桜が咲く頃の渋滞を避けていたために、桜祭そのものには行ったことが無いのです。公園内には遊具が豊富な“くまそ広場”があり、そちらの方には子どもを連れてよく遊びに行っていたのですがね・・・。) 都城盆地は県内でも有数の畑作地域で、甘藷や里芋、ゴボウなどの露地野菜やきゅうりといった施設野菜、茶、きんかんなどの栽培が盛んなことで知られています。その土地土地で利用しやすい作物を使って酒が醸されることは必然。盆地の中心となる都城市にある 柳田酒造 さんは、今でこそ個性的でうんまい麦焼酎群で知られる焼酎蔵ですが、以前は甘藷焼酎が主力としていた時代がありました。その銘柄は、“玉の光”など、いくつかの変遷があったようです。柳田酒造さんが製造していた甘藷焼酎の最後の銘柄が“千本桜”です。 (ちなみに、当時、三股や高城といった北諸県地区の小さな焼酎蔵に製造した甘藷焼酎を販売していたこともあったそうです。こうした蔵は今は廃業されてしまい、焼酎の看板も含めて痕跡を見いだすことは難しいようです。) “千本桜”という酒銘は、言うまでもなく母智丘公園に植栽された桜の樹々に由来します。しかしながら、都城市には同じ甘藷焼酎を製造していた巨大メーカーの霧島酒造がある。同じ土俵で戦っていては蔵の存続も危ういという判断から、柳田酒造さんが麦焼酎専業という路線変更をされたことはご存じの通りかと思います。 いつか甘藷焼酎を復活させたい・・・という思い。柳田さんが蔵に入られて間もない頃にお伺いしたことがあります。その後、取引があった酒店のアドバイスもあって、柳田さんは蔵のの最大の特徴であった麦焼酎の世界の深化に情熱を注がれました。常圧蒸留の麦焼酎“青鹿毛”や宮崎県の在来麦を使用した“ミヤザキハダカ 駒”、そのヴィンテージを愉しむ“干支焼酎”など、焼酎飲みの心をぐっと掴んで放さない麦焼酎を具現化される中でも、甘藷焼酎を復活させる夢を持ち続けていらっしゃったとのことです。 今回、35年ぶりに復活した“千本桜”の冠には、『母智丘』が付いていますが、これは商標の関係で当時のそのままの名前が使えなかったためのようです。ですが、桜の花、背後に見える霧島連山など、当時の意匠を見事に再現しています。 ラベルだけでなく、造りについても当時の手法をできうる限り再現されたそうです。開封してまず感じたのは、父が昔飲んでいた甘藷焼酎の香りはこんな感じだったよな・・・ということ。お湯割りで初めて飲んだ感想は「辛い焼酎」でした。その際、ふっと小さい頃の記憶がよみがえったのですが、幼稚園とか小学校低学年の頃なんかになめさせて貰った焼酎の味ってこんな感じでしたね。 甘藷の風味がしっかりとしており、ほっとする味わいの焼酎。じっくりと飲むつもりでしたが、開封して1週間も経っていないというのに、あっという間に空になってしまいました。 | |
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