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大海酒造協業組合 鹿児島県鹿屋市
(2005.04.23)
大海酒造協業組合
の協業化は昭和50年。昭和42年に近隣の蔵が設立した共同瓶詰め会社が礎となっているそうだ。大海酒造さんといえば、『
海
』シリーズや『
くじらのボトル
』シリーズなど海洋を全面的に商品のイメージに取り込んだ市場開発をされているが、同社の地元向け大衆銘柄が“
さつま 大海
”である。
そういえば、大隅半島を縦断する大動脈、国道220号線を走ると至る所に同社による大型の焼酎看板が目に付くのを思い出した。同社の焼酎ラインナップがずらり並んだ看板でして、宮崎県串間市から志布志町に入ってすぐのところ、串良町にある和牛の世界では“第2平茂勝”号を育成するなど名ブリーダーとして不動の地位を築いている上別府種畜場の辺り、鹿屋市の国道220号線と道バイパスの分岐点・・・と本当に相当数が立っている。
同社の焼酎との最初の出会いはやはり大学の頃であった。当時、私の所属していた研究室には大隅半島の養豚農家出身の先輩が在籍していて、帰省のお土産にここの焼酎を買ってきてくれることが時折あった。所属していた研究室の教授(ボス)のお気に入りはライトブルーのボトルの“
海
”で、お湯割りでガブガブ飲まれていたのではなかったか(学生共はロックで飲んでいたように記憶している)。4〜5年前のことで、今のようなブームの様相は全く無かったのだが、この“海”も「地元ではなかなか手に入らない・・・。」とその先輩は笑っていらっしゃった。
レギュラーの“さつま 大海”を初めて飲んだのがまさに「“海”が手に入らなかった時」であった。自分たちが屠(つぶ)したアイガモの料理(大抵がタタキ、そして鍋であった)を食べながら、この焼酎をお湯割りで飲んでいた。学問の話と言うよりは馬鹿話で盛り上がっていただけだったが、楽しくそして貴重な時間であったと思う。
これは妻の実家に帰省した際に買い求めた焼酎である。時折ドライブに出た志布志町の量販店で品切れ状態を見たこともあるのだが、ブームが落ち着きつつある今はどうであろうか。まぁ、そのようなことを考えながら、大学の頃と変わらないスタイル“お湯割り”で飲んでいる。大隅の焼酎らしく優しく、甘く、そしてふくよかな風味がたまらない。品切れもうなずける味わいであった。
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