このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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高天原より高千穂へと降臨した“瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)”は、美しい姫を逢初川(あいそめがわ)のほとりで見る。この美しい姫“木花開耶媛(こなはなさくやひめ)”は国津神“大山祗(おおやまつみ)神”の娘であり、尊と媛が結ばれることで日向三代の神話における最初のクライマックス「天と地の統合」を迎える。この2神の結婚式(事勝国勝長狭神の仲人によって日本最初の正式な結婚式が行われたとか)、そして新婚生活の場となったのがこの“都萬神社”と伝えられている。前述の逢初川や媛が皇子を産んだ無戸室など、神話の舞台と伝えられる場所はこの社の周辺に点在しており、西都原古墳群で媛の陵墓と伝えられる“女狭穂塚(めさほづか)”と共に、時間があれば回ってみるのも良いであろう。
祭神は前述の“木花開耶媛”。承和4(837)年には官社に預かるという由緒正しい神社で、宮崎では“日向二の宮”としても知られています。皇子を産むというこの国の形成に非常に功績のあったことから“産土神”として祀られ、また“瓊々杵尊”とのロマンスから縁結びの神様としても有名だ。他、山火鎮護(同社内に祀られている父神“大山祗神”との関係か?“大山祗神”は山神として記紀では位置づけられている)、養蚕守護、五穀豊穣・・・などなど、御利益はてんこ盛り。
そして忘れてはならないのが“酒解子神(さかどきこがみ)”という別名。媛が自分の子供を育てるのに自分の乳だけでは足りずに甘酒を作って三つ子の子供たちに与えたという伝説によるもので、父神と同じく酒造りの神様として祀られているのでした。
拝殿。西都市の中心部にあるはずなのだが、境内は静寂そのものである。平日ならば新田原基地の戦闘機が轟音をたてて飛びさっていくのだろう。
地元では“妻萬(つま)”を音読みにし、“さいまんさま”と呼ばれ親しまれている。
拝殿に向かって右側。雲海酒造奉献の「日本酒発祥の地」という碑が立てられている。ひらけたところに置かれているため、この“都萬神社”が日本酒発祥の地であることを西都市民は良く知っていると思う。ただ、その背景にあるストーリーまではなかなか・・・なのでしょうね。
下にある陶器製の壷。“櫻焼酎”、“櫻泉”という銘柄の物であった。茂みを分けて裏側(裏には大抵酒造場名がありますね)をみると、『西都市妻 児玉酒造場』とある。
この『児玉酒造場』。おそらくは“故郷”、“銀嶺”の『児玉酒造』であろうか。もと焼酎蔵だという酒屋が市の中心部にあるが、これも児玉であった気が・・・。要確認。
酒造りの神様ということもあって、本殿には隣町の綾町にある雲海酒造の『綾錦』の樽が置かれていた。
この逆側も同銘柄の樽が積まれてある。宮崎神宮などは県内各蔵の銘柄がたくさん積まれてあって壮観なのだが、酒造りの神様にしては少々寂しく思えた。
現在の都萬神社は境内の一部が都萬公園として整備され、西都市民の憩いの場所としても愛されている。境内は樹齢1200年と推定の“妻のクス”をはじめ、クスの巨樹が頭上を覆っている。その下で、地元の老人会の人がゲートボールに興じていた。
帰り際に赤ちゃんを抱いた夫婦とすれ違った。安産祈願のお礼参りなのだろう。
(04.05.31)
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