このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

雲海
雲海酒造(株)綾工場 宮崎県東諸県郡綾町

(2007.11.30)
20度
秋ともなれば、宮崎県内のあちこちのほ場で白い花が咲き乱れる。タデ科の一年草であるソバの花だ。

一大産地・・・に見られるような『辺り一面、見渡す限り白い花』と言う風景はあまり見られない。転作作物としてはあまり見入りが少ない・・・などと言われているからだろうか。自家消費のための栽培なのかもしれない。もしかしたら、田舎で流行の農産物販売所での販売を目的にしているかも・・・。

ソバと言えば、県内では西米良や諸塚、椎葉のように田舎そばが思い浮かぶだろう。乾燥した棒そばを地場特産品としている新富町のような事例はあるが、宮崎で“そば”と言えば山間部のそれである。不揃いで太めのそばは野趣あふれる風味であり、椎茸の出汁がよく利いた甘みの強い“つゆ”によく合う。ねぎにかまぼこ、甘く炊いた地鶏が乗っかったそばがこれまた美味い。つなぎを使っていないためかぶちぶち切れる太めのそばは食いでがある。

山間部でそばが特産となっている背景には、栽培農地が限られる立地条件によるところが多い。学生の頃、椎葉村の焼畑農法についてちろっと習った事があるが、これは林業と耕作が絡み合った数十年という長いスパンでの持続的な農法である。

焼畑農業は次のようなサイクルで時間が巡っていく。

①樹木の伐採を行った斜面に火を放ち、ソバを蒔く。
②翌年、ヒエやアワなどの雑穀を蒔き、さらにその次の年にはアズキやダイズを栽培。
③4〜5年間、耕作に用い、その後は20年ほど放置され、地力の回復を待つ。


この繰り返しである。

私が学生時代に習った時点で、既に椎葉村の焼畑農法は生産と言うよりは文化の伝承に重きが置かれていたわけだが、その時間のサイクルがゆったりと思え、純粋に驚いたことがあった。なお、焼き畑農法などソバをとりまく風景やそばの味わいについては“ 焼酎盆地 ”を主催されているSASANABA師が レポート されているので、是非ともご覧いただきたい。

ソバを原料に用いた焼酎を初めて製品化したのは 雲海酒造 の前身である五ヶ瀬酒造である。昭和48年に初めて出荷されたそば焼酎はその後、宮崎県産焼酎の代名詞とも言われるまでに成長した。ほのかな甘さとすっきりとした飲み口は飲み飽きず、お湯割りよりはロックに向いているようだ。

・・・ただ、この季節にロックで飲むのはちょっと体が冷えてしまう。できれば、そば湯割り何かで楽しんでみたいのだが、よくよく思ったら、あまり家でそばを作らないな。

いやはや・・・。
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