このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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そこの
焼酎を飲んで居る人。
知っていますか?
ネットサーフィンをしていて、以前お会いしたことのある酒屋さん(芋焼酎生産県にある)のホームページを開いた。ページの隅には《お詫び》とある。何事かとディスプレイを注視したが、数年前から始まった焼酎ブームは暴走を始めている。その余波で仕入れが皆無に近いこと。店の在庫が尽きかけていること。それによって注文の希望に答えられなかったり、在庫があったとしても本数を制限しなければならない事態に陥っているという。酒屋に商品=焼酎が無い。はっきり言って商売あがったりである。
蔵元にしたって大変で、作った焼酎には当然ながら限りがある。取引先に迷惑をかけないように、なるべく長く在庫を持たそうと出荷調整をしなければならないし、取引先に回す焼酎の配分にも頭を抱えることとなる。鳴りやまない新規取引キボンの電話。「飲んでみたい!!」という消費者からの電話・・・。大変なストレスだ。
私が住む宮崎県にある酒屋の棚からは黒霧島の姿が消えつつある。宮崎県No.1DJ“ポッキー”(話がくどいので私は嫌いだけど)のナレーションがCMで流れ、老若男女問わずレギュラーの霧島と共に宮崎でもっとも愛飲されている銘柄であるが、少し遠い存在になりつつある。ちょっと前までディス屋の店頭に1000円で並んでいた身近な銘柄がだ。そんな安売りの光景を苦々しく思ったこともあったが、今では逆に懐かしい。ブームで一番とばっちりをかぶっているのは焼酎を生産している“地方”である。側に当然あるべき物が無くなりつつあるのだぞ。蔵の消滅という止めようもない喪失ではない。単に数が足りないだけでこのような事態に陥っているのである。
このブームは確かに良い方向に働いた。特定の銘柄を“幻”と祭り上げるのはいつの時代も同じだけれども、地域でも販売量に伸び悩んで埋もれかけていた銘柄にまで人々の目は集まる。ネット上で「知って欲しいから」とちまちま情報発信をやっている身には、嬉しいことも多い。ただでさえ“陸の孤島”などと揶揄される県。人が関心を持ってくれることは素直に歓迎したくなる。
摩擦抵抗なんて存在しないのだろうか。加速し続ける今回のブームには、そのような良い作用よりも逆の作用の方が絶対に大きい。森伊蔵や村尾、伊佐美といった鹿児島の銘柄、百年の孤独という高鍋の麦焼酎と大分の耶馬美人。これら希少価値の焼酎をありがたがる風潮は以前からあったけれども、ほんの2〜3年前までは買おうと思えば定価で買えた。しかしレギュラー銘柄ですら買えない今。そして遂に出た中身を全く別の焼酎にすり替える偽焼酎での検挙。ブームという後押しに何を血迷ったか自らをとても崇高な存在に作り上げてしまった蔵元もいるそうである(私の知る人達の中にこのような人が居ないのは幸いであるが)。こんな事態がずっと続くと、こうやって文章を打つという行為にも嫌気がさしてくる。当方の思惑と違った受け取られ方をされることには当たり前のことなので何も言う気もないが、単にブームをあおっているだけなのだろうかと考え込んでしまう。
地元の人間は生活酒の「出荷規制」という事態を、何もすることが出来ずに受け入れている。集落のレギュラー銘柄を買おうと思っても買えない。いくらブームだからって、生活の酒というポジションは変わらない。父ちゃんがいつも飲んでいる霧島がないからと仕方なしに日向木挽を買ってみれば、今度は木挽も品薄。今では黒桜島が店の最先頭を飾る。しかしあまり売れていないようだ。おいしい焼酎であるのだが、宮崎の人はやはり飲み慣れた焼酎に軍配をあげる。
あなたが今飲んでいる焼酎。今あなたはどんなシチュエーションで飲んでいますか?雰囲気の良いBarで?それともうんちくを垂れながら女を口説いて・・・?いちノンべぇの本懐を忘れず、清く正しく酔っぱらっている人もいるかも知れない。そして故郷に思いを寄せる人。中には地方のことをしっかりと受け止めてくれる人もいるだろう。だけど、大多数はこの波に乗っている人である。
どんなシーンでも、あなたが手に握るコップ奥底。地方の人たちのやるせない思いにつながっていることを気にとめてください。
(04.05.18)
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