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加橋かつみさんインタビュー
「もしもしー?」
「もしもーし。」
「かつみさーん、どうもお久しぶりでございます。」
「こんにちは。久しぶりだねぇ。」
「はい。去年のライブ以来で。」
「ねぇ。元気ですか?」
「はい、元気にしております。かつみさんも 元気にされてますか?」
「元気ですよぉ、楽しくやってますよー(笑)」
「楽しく(笑)ね、あの、スーパーアイドルだった かつみさんに
電話させていただいてるわけですけども今日は。あの、一応 GSアイラブユー
っていう番組なんですがやはりね、やはりGSといえば 何を言ってもタイガースですから。」
「ありがとう。」
「あの、かつみさんね、ちょっと簡単で いいんですけどもタイガースの結成の歴史
なんていうのをありましたら あの、流れというか教えていただきたいんですけど。改めて。」
「タイガースの結成の歴史ですか?えぇ〜?随分古い話だね。」
「いつも僕に飲みながら教えて下さってる話を していただけたら。」
「え〜、京都でね、みんな4人でまだジュリーが入ってなかったんですけどね。
4人で遊び友達だったんですよ。高校生で。」
「高校生で。その時はかつみさんと?」
「僕とあの〜岸部一徳と森本太郎と瞳みのる、この4人でね、遊び友達で
丁度ベンチャーズだとかエレキバンドが流行ってきた頃でですね。それであの
友達がバンドやってたんで、僕らも真似してみたいなと思って楽器を借りて
始めたのがきっかけですね。それで、まあ最初のことだからあんまり上手じゃ
ないんでね、演奏しながら歌を歌うってのが難しいんで沢田を引っ張ってきて
それで5人になって始めて少しして京都のロックバンドコンテストが京都会館で
あったんです。それで優勝してナンバ一番に出るようになって、それでナンバ一番で
人気が出るようになって、東京の渡辺プロダクションと、スパイダクションですか?
あそこが来てたんですよね。それでデビューしたと。」
「その時はかつみさん、バンド名はタイガースじゃなかった・・・」
「ファニーズって名前だった、ええ、僕がつけた名前ですね。」
「あ、そうですか。タイガースは誰が つけたんですか?」
「タイガースはあのー、ザ・ヒットパレードっていう番組があったんですね。
その時の番組のプロデューサーですぎやまこういちさん、あのー タイガースの
色んな楽曲を含めてやってもらった先生ですけどね。 すぎやまこういちさんの命名ですね。」
「はぁ〜、タイガース以来ジャガーズだとか 色々名前がついたりして。」
「(笑)動物の名前が多かったね。」
「ちなみにかつみさんがゴージャスな衣装も デザインしてたと聞いたんですけど。」
「そうですね。」
「当時結構お金かけたと仰ってましたよね。いくら くらいの衣装だったんですか?」
「いや、もうあれは大変な衣装だと思いますね。東京に『ベビードール』っていう
洋服屋さんがありましてね、そこに川添梶子さんという方がいて、その方と
僕と一緒に色んなデザインをしたり素材選びをしたりね、色んなことして
計画してたんですよ。あの当時・・・今でも大変な額になると思いますよ。」
「そうですよね、前に仰ってましたよね?」
「あの〜、フランスのオートクチュールなんかと同じレベルのものなんでね。
一着100万円くらいとか、ええ・・・当時でもそうだったかな?」
「ナベプロが出してくれたんですか? 衣装代は。」
「あんまり全額は出してくれなくて(笑)川添梶子さんがポケットマネーで
出してくれたようですね。」
「まあ、でもね、リスナーの方も機会があったら ジャケット見ていただきたいと
思いますがほんと、王子様というかナイトというか すごい衣装ですもんね。」
「うん、もう、あのベルベットでイタリアのシルクの最高級ベルベッドとかね(笑)
そういうものだから。“馬子にも衣装”ですね!(笑)」
「いえいえ、とんでもないですよルックスも みなさん抜群でしたし。
それとね、実はかつみさん、HPで見たんですが あの、加橋かつみさんが
謎に包まれているというHPがありましてね。」
「謎に包まれてる?(笑)」
「何故かというと、ユーミンを発掘した のは加橋かつみさんじゃないかという・・・」
「そうですよ。」
「それは事実ですか?」
「本当ですよ。」
「その辺のところを良ければ詳しく教えて 頂きたいと。」
「僕ね、1969年の終りにニューヨークでブロードウェイミュージカルの『ヘアー』
というのを日本に持ってきたんですよ。僕と川添象郎さんと一緒にね。僕が主役を
して『ヘアー』ってミュージカルをやってたんですけども、そこにユーミンは
毎日遊びに来てましたね。女子高生だったんです、セーラー服着て。」
「そこで音楽の才能を・・・」
「ええ、オオキヤスコさんの妹でね、シャンソン歌手の。僕の友達が
いたんですよ。その彼女がユーミンのお姉さんみたいでね。彼女にいつも
ユーミンがセーラー服着てくっついて来てました。」
「それが、芸能界デビューのきっかけになったという ことですよね。」
「そうですね、そこにやっぱりあの〜川添象郎さんっていうプロデューサーが
いたり村井邦彦さんってユーミンが始めたアルファレコードの社長だとかね、
みんないたりして。それでユーミンが曲書いてるっていうからじゃあ一曲 書いてきてよ、って話でね。」
「で、書いてきてもらって」
「『愛は突然に』っていう曲を、ユーミンの曲なんですけどね、最初にレコーディング してみて。それからですね。」
「そうですか〜。最近はお会いされてないんですか あまり?」
「う〜んそうですね、この頃ちょっと会ってないです。何年か前どこかで 行き会ってみんなで
ミッキーカーチスさん、かまやつひろしさんと、ユーミンと あと
フォーククルセダーズの加藤さんと、僕とで“やぁ”みたいな話して(笑) 六本木で盛り上がったことがあるけど。」
「またこのスタジオにも一度遊びに来てくださいよ 是非。」
「是非是非。神戸でしょ?」
「そうです。お好きな神戸ですから。」
「ねぇ、僕神戸大好きだもんね。学生の頃から大阪通過してよく行きましたよ。」
「いつもよく聞かせていただいております。また お待ちしておりますのでかつみさん、宜しくお願いします。」
「ねぇ、是非。」
「是非今度はスタジオで生で歌って下さい。」
「(笑)はーいこちらこそ♪」
「すいません、それでは忙しいところどうも ありがとうございました。」
「ありがとう、元気でねー。」
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