・10月1日
一部マスコミにより西武鉄道チームが今季限りで廃部され、コクドに吸収合併されると報道される。
チーム関係者も「決定ではないが、そのような計画があるのは事実」と認める。・10月5日
37回日本リーグ開幕。表面上はいつもと変わらぬ開幕戦の光景であった。
※その後、年内中は廃部問題に関して新たな情報が入ることはなかった。
・1月13日
札幌で開催された全日本選手権決勝は延長までもつれた末0-1でコクドに惜敗。
この日札幌を訪れていた堤会長が「日韓リーグにはコクド・西武を統合したチームで臨む」と発言。
初めて合併問題に公式に言及したことでホッケー界に衝撃が走る。
・2月1日
当サイト
が発起人となって西武存続を願う署名活動開始。
・3月2日
日光霧降にて行われた対バックス最終戦において、GWS戦の末敗れるも勝点1を獲得してレギュラーシーズン1位を決める。試合終了後、バックスサポーターの一部が「来季も戦おうぜ 西武」の横断幕を掲出、エールが贈られた。
・3月9日
東伏見でのレギュラー最終戦は1800人を超える観客が集まる。試合終了後、レギュラーシーズンリーダーフラッグが授与される。存続署名もこの日でいったん終了。
・3月18日
西武存続を願う署名3618人分が堤会長宛てに提出される。
この日から始まったプレーオフファイナル(vsコクド)に合わせて、選手・スタッフの「覚悟」を表す寄せ書きを加えた
大型フラッグ
が東伏見駅構内(第4戦よりリンク内)に掲出される。 選手に対して、廃部がかなり現実的になっていることが伝えられたことを窺わせた。
・3月20日
この日開催のファイナル第2戦終了後、会社サイドから相澤監督に廃部決定が通達された。
・3月25日
ファイナル最終戦当日、一部マスコミで「コクド・西武合併決定。新チーム名はプリンス」との誤報が流れる。
最終戦は0-4と完敗してコクドの優勝決定。ラストシーズンを飾れず。
・3月27日
この日、選手に対しても廃部が正式に伝えられたものと思われる。そして廃部後の選手の処遇は「対等合併」の扱いで進められることも伝えられた様子。
・3月29日
ファン感謝デーにて西武鉄道アイスホッケーチームの廃部が正式発表される。
戸田オーナーによる説明の中では「合併」「統合」という表現は一切使われなかった。
・3月30日
コクドファン感謝デーでも合併については一切言及なし。 この日以降、表面上は「西武の単独廃部」であるとの認識が広まる。
・4月12日
東伏見にて日本代表vs西武・コクド連合チーム(表記上は日本リーグ選抜)の壮行試合が開催される。連合チームではあるが西武所属選手は赤、コクド所属選手は青のアクセントが入ったジャージを着用、セットもチーム毎に別々に組まれた。日本代表選出組以外は、この試合が「西武所属」としては最後のプレーとなった。
・4月14日
コクド高木監督・西武相澤監督による統合新チーム編成会議が行われた模様。しかし移籍方法を巡り他チームから後日クレームが噴出、しばらく新チーム編成作業は頓挫した。
・5月6日
世界選手権に出場していた日本代表が全日程を終了。 これにより「西武鉄道」所属選手としてのプレーがこの日を以ってすべて終了した。
・6月10日
頓挫していた西武所属選手の移籍問題は、移籍リストに掲載したうえでの各チームとの自由交渉方式で合意を見た。しかし結局はほとんどの選手をコクドに移籍させ、当初の目論見どおり事実上の統合新チームを編成する作業に移ることになる。
・6月28日
全選手、スタッフと関係者、来賓を集めて「感謝の集い」が開催される。 これが西武チームとしての最後の活動であり、選手が一同に集まる最後の機会となった。
・8月6日
コクドは西武からの移籍加入者13名を正式発表(後に2名追加)。なおコクドはユニフォームやキャラクター(兎→ライオン)も変更することも後日発表。旧コクド色を一掃した、まったく新しいチームに生まれ変わることが分かった。
・8月19日
西武サイドより、5名の選手が移籍せずこのまま引退することが発表された。
・9月
旧西武所属選手の移籍先、および進退がすべて確定した。